何かを続けることは、誰かの顔を思い浮かべること

どうも、のさか(@breakconnect)です。

僕は基本的に意思が弱く、自分で決めたことは大体やり続けることができません。ただ、ある時にはこれでもかとストイックになることがあります。

そのある時とは、純粋に誰かの顔を思い浮かべているときです。

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ただ純粋に未来にワクワクすること

例えば、高校の部活動。

僕は軽音楽部に入っていて、1年生の後半からドラムを始めました。他のバンドメンバーと半年近く経験が離れている中、僕が彼・彼女らに追いつくためにはとにかく練習するしかありませんでした。

1日10時間以上、顧問に頼み込んで朝練をさせてもらい、親に頼み込んで家でも練習させてもらい、授業中も楽譜を見るといったストイックぶりを1年以上にわたって発揮しました。

その時の原動力を後になって思い返してみると、「バンドメンバーに早く追いて、新しい曲たくさんやりたい!」、「いつも付きっきりで教えてくれている先輩を驚かせてやりたい!」という誰かのためだったんですよね。

しかし、当時は誰かのためという意識は全くありませんでしたし、その気持ちは承認欲求的なものでもありませんでした。ただ純粋に、そうなる未来にワクワクしていただけです。

結果、僕らのバンドは部の代表としてコンテストに出場し、賞もいただきました。

なぜ、誰かの顔を思い浮かべていると継続できるのか?

何かを続けようとすると、必ずどこかで壁に直面します。

それは単に「めんどくさい」とか「今日くらいサボってもいいよね」といった内的な壁もありますし、病気や仕事などで時間を割くことができない外的な壁などもあります。

続けるか、止めるか……この葛藤が何度も何度も訪れてくるわけですが、この時に「アイツも頑張ってるしなぁ」「あの人をアッと驚かせてやりたい」と思えると続けられる可能性がグンと上がります。

そんな葛藤も1ヶ月ほど乗り越えていれば、その行為自体が習慣化し、続けることのハードルが一気に下がっていきます。

要は、誰かの顔を思い浮かべることで、一番精神的にも身体的にも辛い最初1ヶ月を乗り越えやすくなり、続けられるというわけです。

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最後に

ここ最近筋トレをしていて、今日もジムに行こうとしたのですが、まさかの休館日でした。

「もうめんどいし、家に帰ろっかなぁ……」と思ったのですが、ふと筋トレを勧めてくれた友人の顔が思い浮かび、自転車で30分ほどかけて別のジムに行くことにしました。(値段も高かった!)

恐らく、1人で筋トレをしていたら、あっさり帰ってしまっていたところでしょう。

一緒に何かをやってくれる(協力してくれる)存在がいるってほんとにありがたいことだなぁと、ふと痛感したのでこの記事を書きました。

今日はこのへんで、ではではー。

 

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