デンマーク・フォルケホイスコーレ留学を決意した理由について

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「なんでデンマーク……?」

人生初の海外留学にデンマークを選んだことを伝えると、「わざわざ辺鄙なところに行くんだな」といったトーンで、こう質問される。

僕は1月7日から約3ヶ月間、デンマークにあるKrogerup Højskole(クローロップホイスコーレ)という学校に留学する。この学校はデンマーク内に約70校存在する「フォルケホイスコーレ」と呼ばれる全寮制の成人養成機関である。

それぞれのフォルケにはデザインやスポーツ、政治、哲学、ヨガ、社会起業、宗教、映像など様々な特色があり、入学に際して試験や資格などは要らない。おまけに安い(寝食込で1ヶ月10〜15万ほどである)し、場所を選べば英語で授業もしてくれるし、いろんな国の人とも交流できる。

こういうことを説明すると「もっと早く知りたかった!」という反応が返ってくることが多い。こんなに気軽に留学できるところはないので、もっと多くの人に知ってもらえたらなぁと思う。

僕自身せっかくフォルケに留学しているのだから、自分の気持ちの整理やフォルケに興味のある人のために現地での生活を綴っていくことにした。まず手始めにフォルケ留学を決めた理由を書いていこう。

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「海外に行って価値観が変わった!」は腑に落ちない

よく海外留学やバックパッカーを経験した人が口にする「価値観が変わった(世界が広がった)」という言葉。僕は決まって彼・彼女らに「具体的に何が変わったの?」と聞くけれど、うまく言語化できないのか、腑に落ちるような回答を得られたことがない。

恐らく、言葉にできるようなチープなものではないのだろうし、たとえある程度の精度をもって言葉にしてくれたとしても、実感することは難しいのだろう。なぜなら、僕はそれを体験していないから。

僕は「日本のこういうとこが素晴らしい、こういうとこがダメだ」と評価しているわりに、日本以外の国をこの目で見たことがない。ソースとなっているのは、日本にいる外国人から聞いた話や、外国の制度や文化を紹介した記事、大学内での異文化学習の授業などである。

別にそれらが間違っているわけではないのだろうけれど、この身を投じることでしか得られないものがやっぱりあると思う。いろんなものがすぐに簡単に手に入るような時代において、留学やバックパックなんて正直アナログな行為だ。でもそんなアナログな行為を好んでやる人がいるのは、やっぱりそこでしか感じられないこと、出会えないものがたくさんあるからだろう。

金銭的にも時間的にも余裕が生まれるのがちょうど今このタイミングだったことや、大学生活のうちにやり残したことを考えてみても、留学以外の選択肢は思い浮かばなかった。内定先や両親をはじめ、いろんな人に迷惑をかけることにはなったが、留学に踏み出すことにした。

「個の夢が否定されず、それぞれの人が自分らしく活きられる世界」をつくりたい

僕は「個の夢が否定されず、それぞれの人が自分らしく活きられる世界」をつくりたい。その世界をつくるにあたって重要なことは、それぞれの人の手の中に選択肢を入れることなんじゃないかなぁと思っている。

日本は裕福で便利な島国だから、わざわざ外国人と交流する必要はないし、正常と異常に線引きして異常な人間を遠ざけることもある程度可能だ。ともすれば、排他的になって、小さなコミュニティに閉じ籠ってしまえる僕らは、その外にある様々な選択肢に気付きにくい。

その上、画一化された正解探しの教育のせいもあって、自分の気持ちに目を向けたり、表現したりする機会や習慣も少ない。自分がどんな人間で、何をしたいのか、どうありたいのか、きちんと理解し、説明することは実はかなり難しい。たとえ他の選択肢に気づいていたとしても、手の届く範囲にある選択肢しか選べない人も多いだろう。

僕は日本に蔓延するこの選択肢の少なさに息苦しさを感じて生きてきた。自分のやりたいことを口にして「お前にできるわけがない!」と否定されたこともあったし、「なんで”普通に”できないの?」と笑われることもあった。今でこそ自分を認めてくれる人たちに恵まれているけれど、ありのままを受け入れてもらえない経験は過去たくさんあった。

そんなこともあって、いろんな考えや文化、価値観、生き方をもっと尊重し合い、それぞれの人が自分らしく活きられる世界になればいいなとずっと思っていた。だからこそファーストキャリアには、メディア(編集業)を選んだ。メディアを通して、いろんな思想や文化、価値観、生き方、手段、環境……とどのつまり選択肢を伝えられると思ったからだ。

ただ、メディアにできるのは選択肢を提示するところ(きっかけづくり)までだ。多くの人がその選択肢を選べるようにするためには、人と人が共に学び合い、支え合う共育の場が必要である。だからひとしきりメディアを学んだ後は、そういった場づくりをしていくつもりだ。

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立ち止まって考える機会の重要性

共育の場づくりについて調べているうちに、自分が理想としているものがデンマークにあるんじゃないかと思うようになった。デンマークは教育が進んだ国である。PISAの順位は高くはないが、まだ若い頃から自分のキャリアについてしっかり考え、個々の能力を最大限に伸ばすことを第一とした教育を行っている。

なかでも興味そそられたのは、エフタスコーレ(※)やフォルケホイスコーレに代表される「立ち止まって考える機会」である。

※エフタスコーレ
デンマーク独特の学校形態である全寮制の私立中学校。14歳から18歳の生徒を対象とし、8年生〜11年生水準の教育内容を学習する。義務教育を終了して進路が未定の生徒や、高等学校へ進む前に興味のある学習をしたい生徒など、全生徒の約4割がエフタスコーレを卒業している(ここらへんは後日まとめた記事を作る)。

僕は浪人を1年間、休学を1年間していることもあり、一般的な大学生に比べ、立ち止まって考える時間が長かった。周囲とは違う道を選んだために孤独を感じることは多かったし、みっともなくもがいて恥ずかしい思いもたくさんした。でもこの2年間は、心底自分の気持ちに向き合えた貴重な時間だった。もし浪人していなければ、休学していなければ……と考えると恐ろしくなる。

日本では最近休学も珍しくなくなってきたが、まだまだ休学に対する敷居は高い(僕は12万円も払わされたし)。社会人になってから大学へ学び直すということも難しいし、浪人も良いイメージを持たれることはない。自分のキャリアについて考える習慣や学校・会社外の世界に触れる機会が少ないのに、「立ち止まって考える機会」はほとんどないのだ。

だからこそ、僕はその機会をつくりたいと思う。ふと立ち止まって、自分の人生について考えてみたり、他人の人生に触れてみたり、見たことのない世界に行ってみたり。そういう時間と場所を日本でもつくりたい。……というより絶対に必要なのだ。

だから、その仕組みがつくられているデンマークの教育・文化をこの目で見てきて、この身体で感じてみたい。同時に僕自身、学生生活最後の立ち止まる機会を通して、日本人としての自分を俯瞰してみたい。そんなことを思って、英語もほとんど喋れないくせに、とりわけデンマーク人の多いフォルケに入学することにした。

マイノリティとしての記録を残していく

以上、僕がデンマーク・フォルケホイスコーレに留学を決めた理由を自分の願望を交えて書いた。現地では既に2週間が経とうとして、あまりの言語の通じなさに困っているが、それもそれで留学の醍醐味だと思って楽しむことにした。

人生初のマイノリティ生活で、これからもきっと楽しいこと・辛いことたくさんあるはずだ。どちらも今ここでしか感じられない大切な感情なので、時間をつくってしっかり記録を残していこうと思う。もしかしたら、英語で文章を書くことになるかもしれないが、これから楽しみにしておいてほしい。

 

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