どうも、のさか(@breakconnect)です。
「人を信じても、仕事は信じるな!」とはよく言ったもので、仕事をしていれば何かと疑われることがあります。
そもそも、疑われるような仕事をしている自分が悪いのかもしれませんが、やたらめったら疑うような上司にも問題はあるでしょう。
恐らく上司は「批判的に思考し、行動している」と思い込んでいるのでしょうが、部下からみれば「ただ疑ってかかっている」としか思えない構図が多くあります。
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「批判的思考」と「疑うこと」の違い
「批判的思考」と「疑うこと」には大きな違いがあります。
前者は教科書やマスコミなどの情報を鵜呑みにせず、多面的に考察・検証する内省的行為であり、後者は目の前に並べられた情報を少しだけ検証して、一面的に「これは、こうに違いない!」と断定する他責的行為。
平たく言えば、前者は「自分がちゃんと納得できるか」に重きを置き、後者は「相手がちゃんとしているか」に重きを置いているわけです。
よくサスペンス系の物語では、主人公の名探偵とその下っ端刑事(コナン君と毛利刑事といったところ)が登場人物として出てきますが、まさにこれです。
「この状況からして、こいつが犯人に違いない!」と疑ってかかるだけなのが毛利刑事で、「本当にそうだろうか、なにか納得いかないところがある」と批判的に思考しているのがコナン君。
教育能力の低い人ほどすぐに疑う
そして、教育能力の低い人ほど毛利刑事的偏見を、他人に対してフルに発揮してしまうのです。
さも「お前は間違っている、お前がこれをやったんだろ!」と言わんばかりに、「この資料のデータって本当なの?」「あの業務ちゃんとやってくれた?」「外回りずいぶん長かったね〜」とトゲの生えた言葉を放り投げてしまうのです。
当然のごとく上司にこんな風に接せられて、良い気分になる部下なんているわけがありません。その上司と部下の間には一切の敬意の念は存在せず、信頼関係はおろか信用関係すらも築けなくってしまいます。
こうなれば、上司の言葉は部下には届かなくなります。部下は何でもかんでも疑ってかかる上司にビクビク、イライラしながら仕事するハメになり、モチベーションもだだ下がりです。
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偏見的に疑うことはしてはいけない
だから、確たる証拠があるならまだしも、証拠もないのに偏見的に疑うことは絶対にしてはいけないのです。それは「人を信じないし、仕事も信じない」状況になっているだけですから。
「人を信じても、仕事は信じるな!」というのは、その人自身の人間性がどんなに素晴らしくても、仕事では必ずミスは出てくるものだということを示す言葉。だからこそ、人を責めるのではなく、仕事の側を責める−ミスが生じない仕組みを作っていくとか、仕事の量を変えるとか−ことが大事なんです。
つまりは、信頼関係ができている上での言葉なんですよ。
これを勘違いして「仕事の場では疑ってかかるべき」と解釈している人はとんでもない! 批判的に考えれば、悪いのは人なのか仕事(制度・仕組み)なのかという判断もできるはずなのに。
最後に
疑うことばかりしている人は、粗を探すことが生きがいのようになっているので、とてももったいないんですよね。
そういう細いところに目が届く能力を、他人の良い所や仕事上の仕組みの不味いとことを見つけることに使ったほうが絶対良いのになぁと。
それでは今日はこの辺で、ではでは。
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