「自戒を込めて」と前置きして、発言する必要なんて無い

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どうも、のさか(@breakconnect)です。

自分の言動を戒め慎むために「自戒を込めて」という言葉を使う人が多くいますが、どうもこれには違和感があるんですよね。

僕自身、自分のブログの最後に「自分もこれからやっていこうと思います。」といったことを書くのに対しても似たようなことを感じることがあります。

今回はその違和感について書いてみたいと思います。

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枕詞として置く免罪符的なもの

「自戒を込めて」についてよく言われるのは、枕詞として置く免罪符的なものではないかということ。

ある発言をするにあたって、「まぁ自分も人のこと言えないんだけどね」ということを前もって伝えておくことで、非難されないようにしているわけです。

多くの場合、自戒を込めてということばは他者攻撃とセットになっています。

たとえば、職場の新人が遅刻をして迷惑を掛けた。その姿を見て、「職場で新入社員が遅刻して、チームの作業がてんやわんやだった。社会人たるもの、チームの流れを乱すのはダメですよね。自戒を込めて」とつぶやく。

これはいかにも卑怯な「自戒」の込め方です。「自分も完璧ではないだけどね」という予防線を張って、自分に対してやってくるかもしれない攻撃を防いでいるわけです。自戒を込めることで、「おまえの振る舞いもチームワークを乱しているぞ!」という非難を和らげることができるのです。

こういう人は自分を戒めているわけでもなんでもなく、他人を攻撃したい気持ちでいっぱいになっているだけです。それこそ、その攻撃性を戒めてほしいものです。
引用 – 「自戒を込めて」という卑怯な自己保身 : まだ東京で消耗してるの?

発言すること自体に自戒は込められている

このことに加えて僕が思うのは、「発言すること自体に自戒は込められているのでは?」ということ。

自分が今できていることであれ、できていないことであれ、人前で発言すれば、行動でそれを示していかなければならないと思うんです。

そうじゃなきゃ、ただの嘘つきになってしまいますから。

それにリアルの場であれ、ネットの場であれ、人前で何かを発言すれば、影響を受ける人も少なからずいるはずです。

その影響を考えれば、細心の注意を払って言葉を選ぶということは当たり前なので、自戒を込めて言えないことなんて無いんですよ。

だから、僕は発言するということは「矢面に立つ」ということだと思っていますし、その覚悟がなければ発言ってできないと思うんですよね。

(もちろん、自分のことを棚に上げてべらべらと発言する哀れな人がいますが……。)

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最後に

つまるところ、「自戒を込めて」といった類の言葉を使うことは、矢面に立って自分の発言(とその影響)に責任を持とうとしていない姿勢の表れなんです。

自分の主張は通すけれど、人からの批判は受け付けないというある種偏った姿勢ともいえるでしょう。

したがって、ちゃんと矢面に立つのであれば、「自戒を込めて」といった言葉を使わずに自分の行動でそれを示していくべきなんです。

これってとんでもなく勇気のいることですよね。正直僕もこれを書いてしまった時点でもう自戒込められまくりなんで、ビクビクしてます笑

今後の僕の行動を見ていただき、ダメなところは「お前これ、やれてないぞ!」という愛あるご指摘をいただければ幸いです。

今日はこの辺で。ではでは〜。

 

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