どうも、のさか(@breakconnect)です。
大学の同期やゼミの後輩と話をしていると、「この人、頭良いなぁ」と感じることはとても多くあります。
少なくとも、有名大(大雑把に言うと、関関同立やMARCHクラス以上)の学生の殆どは頭が良いんじゃないかなぁという印象です。
しかし、彼・彼女らのほとんどは自分は頭が悪い、話すのが下手、論理性が無いなどと自分に対して否定的。しかも、それは謙虚や謙遜とかではなく、どうやら本心で思っているようなんですよね。
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地頭の良さは大体みんな同じ
彼・彼女らがそう思う理由は、「自分たちには無い知識や技術を持っていること=頭が良い」という風に漠然と思い込んでいるからだと思います。
ビジネス用語やロジカルシンキング(その類のフレームワーク)、プレゼンスキルといったもの持っている人は頭が良く、そうしたものを持ち併せていない自分たちは頭が悪いといった感じに。
確かにそれも一理あるといえばあるのですが、そうした知識やスキルのほとんどは勉強したり訓練したりすれば、誰でも持つことができるものなんですよね。
さらに言えば、ほとんどの人はその分野に関する勉強・訓練が足りていないだけで、思考力や発想力といった地頭の良さは大差無い印象。
論理的思考能力に関しても、意識化できていないだけで、その基盤はちゃんと形成されていたりするものです(もっとも、京大・東大クラスの学生のその基盤は別格なことが多いのも事実ですが……)。
参照:成功者が持つ「グリット」才能でも努力でもない第3の要素とは – ログミー
「頭が良い」の定義付けの問題
そもそも、「頭が良い」ということを誰もが納得いくよう、正確に定義するのはとても難しいものです。
僕がここで「『頭が良い』というのは、自分が間違っている可能性を頭に置いて他人と接することができること」なんて言ったところで、他の人は「物事の状況を整理し、定義付け、深掘りできること」と言うかもしれません。
こうした定義付けはいくらでもできるわけで、どれも当てはまっていて、どれも完全ではない。
だからこそ、自分たちの不利な方へ、自信を失くす方へ定義付けする必要性も無いんです。事実であるのなら、「あの人は自分に無いものを持っているけれど、自分もあの人には無いものを持っている。」という風に思っても良いんです。
そこで、「ビジネス用語を知らないなんて頭が悪い!」「ロジカルシンキングができないなんて頭が悪い!」なんて批判する人の方がよほど頭が悪いですから。
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最後に
僕が同期や後輩と話していて「頭が良い」と思うのは、自分はまだ足りないということを理解して、その足りない部分を補おうと自分なりに努力しているところ。それこそ2,3年前の僕よりも、論理的に考えることもちゃんとできているし、話し方も上手いし、ビジネス方面を除けば視野もそれなりに広い。
こうして書くと上から目線感が半端無いのですが、個人的視点から見ても、客観的な視点から見ても「頭が良い」というのは事実だと思うんです。
だから、みんな頭良いし、もっと自信を持てば良いのになぁといつも思うんです。
今日はこの辺で、ではではー。
※もちろん、有名大学出身じゃなくても頭が良い人は頭が良いです。この記事で書いていることは飽くまでそうした傾向がある、ということです。
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