フィクションとマーケティングと営業

どうも、のさか(@breakconnect)です。

Mr.Childrenの『Starting Over』の意味をより知りたいなぁと思い、今更ながらこの曲が主題歌となっている映画『バケモノの子』を観ました。

感想としてはちょっとイマイチな感じ。

確かになんだかウルっとくるようなところはあるんですが、キャラの心情変化やメッセージの意味不明性、エンディングの進め方など、ダメな点が目についてなかなか感情移入ができなかったなぁと。

ただブログでダメ出しを書いてもつまらないので、今回は『バケモノの子』を観て思った、フィクションのキャラの描き方について考えてみたいと思います。

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僕らがフィクションを観て、感動する理由

大抵フィクションのキャラは「現実にはこんな人はいない」という一癖二癖がある特異なものです。でも、それを実際に批判して、フィクションを観なくなる人なんてまぁいないですよね。

それはなぜかというと、僕らはフィクションをフィクションと認識しているからなんです。

もし全てのフィクションが現実に即した平凡なキャラしか使ってはいけないとなると、面白いストーリーはそうは作れません。どれもこれも世界観が似たようなものになってしまうでしょう。

(もちろん例外はあって、『桐島、部活やめるってよ』朝井リョウさんとかは、現実にいそうなキャラを特徴を持って描くのがとても上手です)。

だからこそ、作者と視聴者の間には「これはフィクションだ」という暗黙の了解が成り立っているんです。

そして、フィクション(あり得ないこと)だと分かっているのにも関わらず、多くの人が感動して涙を流したりするのは、そのストーリーのなかに共感(感情移入)できるポイントがあるからなんですよね。

心情変化の過程と理由

もっと言えば、心情変化の過程と理由がそのキャラを取り巻くストーリーでちゃんと描かれているかどうか。良い作品と悪い作品の違いは、偏にこの点にあると言っても過言ではありません。

悪い作品は視聴者を置いてけぼりにするように、ただただ作者の都合でキャラを動かし、挙句「どうせ、こういうのが好きなんだろ?」と言わんばかりに泣き落としポイントを作ったりしちゃっているわけです。

僕が『涼宮ハルヒの憂鬱』とか『君の膵臓をたべたい』が好きなのは、この心情変化の過程が上手く描かれているからなんですよ。

というか、最近の学園モノは心情変化の過程を描くのが本当に上手だなぁと。

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最後に

書いてて思ったのですが、こうしたことは何も映画や小説だけでなく、マーケティングや営業でも同じだなと。

まず相手との共通点(共感点)を見つけ出すこと、またはその共感点を生み出し、育てていくコミュニケーション(ストーリーテリング)をすること。

これを意識していくことで、日頃の営業もかなり巻き込みやすくなった気がします。といっても、この当たり前のことは気付くのも、実際にやってみるのも難しいもので、まだまだブラッシュアップが必要ですが。

それでは、今日はこの辺で。

ではでは。

 

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