どうも、のさか(@breakconnect)です。
学術的な論文や公的な記事ならまだしも、いちブログ記事において「根拠のないデタラメだ」「単なる思い込みだ」と批判するのはどうかなと。
別にそのご指摘は間違ってはいないと思うのですが、ブログなんて個人の意見を書く場なのだから、チマチマと粗探しをするような姿勢で読むのはあまり良くないなと思うんです。
今回は読み手の姿勢と書き手の姿勢についてのお話です。
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読み手の姿勢
表面上の情報を鵜呑みにせず、ちゃんと裏を取る姿勢はとても重要です。特にネット上の情報なんて誰でも書けてしまうので、基本的に疑ってかかるようにしたほうが良いでしょう。
しかしその注意深い姿勢と裏腹に、「事実」と「意見」を取り間違えてしまっている人も多くいます。それどころか、断片的な「事実」に踊らされている人も多い。
例えば、PISAの世界ランキングが落ちたという断片的な「事実」から、「ゆとり教育が学力低下の原因だ」という「意見」を出すこと。そしてその「意見」を「事実」と思い込むこと。
参照:「ゆとり世代」学力低下はウソだった ~大人たちの根拠なき差別に「ノー」を!
こうした取り間違いは頻繁に起きていることから、読み手は「事実」と「意見」の区別をちゃんとできていないんじゃないかなと。
だからこそ、「意見」を書くブログ記事においても、「で、根拠は?」といったある種お門違いなことを言っているんじゃないかなと。
ブログ記事においても「意見」だけでなく、「事実」を書くものもあれば、「思い込み」で書いてしまっているものもあります。なので、その区別をしっかりした上で根拠を求めるという姿勢が重要なんじゃないかなと思うんです。
書き手の姿勢
一方書き手は書いていることが「事実」なのか「意見」なのか、できるかぎり分かりやすくした方が良いでしょう。また、「意見」を書く際においては単なる「思い込み」にならないように気をつけなければなりません。
重要なのは、なぜその意見になったのかという理由や過程をしっかり示すことなんです。それらがしっかり示せていなければ、本当に単なる「思い込み」になってしまうわけです。
例えば、僕が「女はすぐに嘘をつく」みたいな記事を書いたとします。
自分がなぜそう思うようになったのかという経緯もなしに、「女はすぐに嘘をつく! あなたの恋人も必ずそう! だから女は信じてはいけない!」と主張するだけであれば、批判されても仕方ないでしょう。
一方で、自分がこれまでの人生で関わってきた何人かの嘘をつく女性を根拠として、「女はこれこれこういう理由で嘘をつく。例えば…」みたいな内容であれば、個人の意見としては真っ当なものなんじゃないかなと思います。
もしかしたらそれは女性のごく一部の層だけのお話で、実際には男も女も大して変わらないのかもしれません。しかし、その理由や過程をきちんと示すことで、それは単なる「思い込み」から個人として正当な「意見」になるのです。
言ってしまえば、単なる「思い込み」と個人として正当な「意見」の違いは、前者がこれといった訳もなく(しいて言うなら、個人的な好き嫌いによって)形成されるものであり、後者が理由や過程を踏まえて形成されるもの。
「思い込み」で書いている人の文章は得てしてつまらない。
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最後に
もちろん、根拠となるものをしっかり示せるのであれば、それに越したことはありません。
ただ、全てに根拠を求めてしまうと、伝え手は伝えたいことが伝えられなくなってしまう面も大いにあります。
自分が体験したことや感じたことを論理的に整理し、伝えること。そして、その意見に対する様々な意見を取り入れて、自分の考えや感覚を研ぎ澄ませていくこと。
これがブログ記事なんかではとても重要なことなんですよ。
参照:「書く」ことの本当の意味
今日はこの辺で、ではではー。
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