尊敬と差別は似ている

どうも、のさか(@breakconnect)です。

ある人のやっていることや肩書だけを見て、「凄いですね〜!」と言う人はとても多いのですが、これはあんまり良くないなぁと。

というのも、「凄いですね〜!」という尊敬の言葉は、差別的な姿勢を表すことが多いからです。

今回は、尊敬と差別は似ているというお話です。

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「凄いですね〜」に見られる差別

ある人のやっていることや肩書だけを見て、「凄いですね〜」と言うことは一見尊敬的な姿勢を示すように思えますよね。

しかし、発言者本人も気づかないところで、この言葉の本意が「あなたは、私(たち)とは全く違った存在なんですね〜」という差別的なものになってしまうことが多々あります。

これは、「凄いですね〜」と言うことで、相手を突き放して(自ら距離を置いて)しまっている状態なんです。

相手のやっていることや肩書ばかりに目が行ってしまって、それ以外の部分―人間性や興味・関心、思考の深さ、視野の広さなど―を見ようしなくなっている状態。

こうなると、まともな友好関係は築くことはできなくなります。自ら対等な立場で話をすることを放棄しているわけですから。

対等であること

だから、相手を突き放さないようにするためには、対等な立場であることが大事になります。

これは単に「凄いですね〜」という言葉を言わないようにすることではなく、「私とあなたはやっていることは違うけれど、人として尊敬しているよ」という姿勢で居ることなんです。

参考:人それぞれできることは違うのだから、他人を羨ましく思わなくていい

この姿勢でいるのであれば、同じように「凄いですね〜」と言っても、突き放されている感はありません。

そもそも、対等な立場でいようする人は、相手のやっていることや肩書だけを見て「凄いですね〜」とはあまり言いません。そういったことは、相手の人間性や考えていることの深さと広さを見てから言うもの(※社交辞令はまた別)。

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最後に

その昔、意識高めなイベントに参加した際、「学生団体の代表をしている」とか「会社立ち上げている」といった参加者ばかりの時がありました。

当時(今も)、僕は人に誇れるような肩書は何も無かったので、参加者の輝かしい肩書を聞くだけで「凄いですね〜」と言っていました。

自分にも何か肩書が欲しくて、イベント企画やら物販やらしていましたが、相手を突き放してしまう姿勢が抜けきらず、いつも対等な関係が築けまま時間が過ぎていきました……

実際、人間関係を築く上で肩書(見た目上のステータス)はとても重要なもの。しかし、それ以上に大切なのは相手のことをちゃんと見て、人として対等であると気付くことです

もちろん尊敬される側の立場に変わっても、相手のことを見下したりしないで、対等な姿勢でいられるよう気を付けていくことも大切なこと。

今日はこの辺で、ではでは〜。

 

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