どうも、のさか(@breakconnect)です。
先日、「僕がブログで伝えたいことは「問い」と「視点」」をFacebookに投稿した際、「自分ものさかみたいになりたい!」という旨のコメントを頂きました。
僕はそれに対して、「君には君の良いところがあるから、僕みたいにならなくて大丈夫!」というイケメンな返答をしたのですが、これは本当にそう思うのです。
人それぞれできること(得意なこと・魅力)は違うのだから、他人を羨ましく思わなくていいなと。
スポンサードサーチ
僕も劣等感が凄かった
そんな風に心の底から思えたのは本当にここ最近のことで、それまでは僕も劣等感が凄くありました。
自分と他人を比べては、「あぁ自分はこれができてない、あぁダメだなぁ」と。
「比べるのはもう止めよう」と心に決めても、「自分はこの人より劣っている」と無意識の内に優劣をつけていました。
そうして自分を否定的に捉えるようになっていくと、輝かしい才能を持っていたり、成果を上げていたりする人が羨ましくなってくるんです。
「自分も●●みたいになりたい!」……と。
自分を受け容れること
僕がそんな状態から抜け出せたのは、「才能を肯定するのは至極難しいけど、無視すればいい。」を書いたことがきっかけ。
そこから、毎日ブログで自分の思っていることを表現していき、一気に視点が変わりました。
それまでは、僕は自分自身を受け入れられなかった。「自分にしかできないことがある」って信じることができなかったんです。
だから、ずっとブログも書けなかった。自分を表現できなかった。他人と比較して、自分が優れていると認識できないと不安で仕方なかった。
「あぁ、自分は自分でいいじゃん」と思えたのは、自分を表現していいと気づき、表現し続けてきたから。「自分にしかできないこと」があると知れたからなんです。
スポンサードサーチ
人はできないことがあるから、助け合える
そして、自分を受け容れると、これまで見えなかったものが見えてくるようになりました。
人それぞれのできることや得意なこと、魅力のあること、その方向性、使い方……これらの違い。
これって当たり前のことなのに、僕らの殆どは比べられてしまうことに慣れてしまって、すぐに比較基準を設けて優劣をつけようしてしまうんですよね。
確かに、比較して優劣を決めることは競争意識を育み、向上心を高める上でとても重要なことです。ただ、それだけが全てではありません。
なぜなら、自分ができないことは他人に助けてもらうための余地でもあり、他人ができないことは自分が助けるための余地でもあるからです。
ここに優劣の評価は必要ないんですよ。自分ができることで他人を助けることができればいいので。
それに人それぞれアプローチの仕方やタイミングは違うので、いつどんなふうに他人に響くのかは分からないんです。
最後に
「人それぞれできることは違うのだから、他人を羨ましく思わなくていい。」
こういう風に思えてくると比較して優劣をつけなくなるので、対等な関係も築きやすくなります。
「僕と君はやっていることは違うけれど、人として尊敬しているよ」というスタンスで人と接することができるようになるんです。
これって凄く気持ちがいいことで、妬みとかひがみの対象となっていたものが、自分に良い刺激を与えてくれるようになるんですよ。
多くの人がこうした感覚を持ち合わせていれば、互いが互いを高め合える関係が増えてくるはずなので、是非実感してみて欲しいです!
ではでは〜。
【追記(2016/06/12)】
「●●みたいになりたい!」と憧れること自体は悪いことではないと思います。
ただ、それが「自分以外の誰かになること」である場合は、自分が自分で在ることができないので辛くなります。
憧れることで良い部分を盗んだり、自分の改善点を見つけたり、という風にやっていくことが重要なんじゃないかなぁと。
最新情報をお届けします
Twitter でのさかたくみをフォローしよう!
Follow @breakconnect