どうも、のさか たくみです。
僕は同志社大学・社会学部・教育文化学科に所属している学生なのですが、大学に入ってからずっと思ってたことがあります。
それは、「日本の大学、ダメすぎじゃない?」ということ。
勉強しない学生は多いし、授業も大体つまらないし、主要大の世界ランキングも低いし……。
もちろん例外はあります。秋田県の国際教養大学とかユニークだと思いますし、学部・学科ごと見れば、素晴らしい教授陣と設備が整ったところもあると思います。
ただ、大学全体を見たときにダメな傾向は大いにあるなと……。そういうことを同学科の友人ともよく話すのですが、その原因や解決方法はずっとハッキリしないまま、モヤモヤしていました。
そこで、今回は教育文化学科の准教授であり、アメリカ人であるビリー先生に大学についてのモヤモヤをざっくばらんに聞いてみました!
(※取材補助として、同学科の斉藤君にも協力してもらいました!)
同志社大学 社会学部 教育文化学科 准教授。神戸出身。12歳まで日本・アメリカ間を往復し、中学以降アメリカで過ごす。大学卒業後、京都の高校で英語教師、コロラドでスノーボードインストラクター、一般企業での勤務などを経験し、2013年度に同学科の教員となる。専門は探検・冒険と青少年のグローバル志向。3人の子を持つパパでもある。
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大学の教育の目的とは?
「僕らが1回生のとき教育文化学科で1泊2日の合宿に行きましたよね。僕2日目の朝に早く起きてランニング行ってて、帰ってきたら先生が外にいらっしゃったので、ちょっとお話したんですけど……」
「え!? あれ、たくみだったの?」
「そうです、僕です!」
「会話の内容は今でもはっきり覚えてる。でも、誰かは忘れてた。凄い運命やな(笑)」
「覚えていて安心しました(笑)。そのとき教育についての話をしていて、先生は『内側から教育を変えていきたい!』と仰ってたと思うんです。それって大学教員として大学の教育を変えたいということでしょうか?」
「うーん、そうやな。大学全体だけど、特に日本の大学を変えていきたいと思っている。よくある話だけど、もっとプログレッシブな(進歩主義)教育をやっていきたい」
「プログレッシブな教育?」
「そう、たとえば学生が主体となってディスカッションやディベート、プレゼンをしてみたり。学生とって授業がもっと有意義に感じれるようにする」
「話を聞いているだけの受け身な授業ではなく、学生側が主体的に動いて学ぶ授業をするということですね。プログレッシブな教育はどうして重要なんでしょう?」
「高等(大学)教育で最も大事なのは『情報』を得ることではなく、『問い』を見つけることだから。
よく言われることだけど、今は情報が溢れている。iPhoneがあれば、歴史上最も賢い人が持っていたよりも多くの情報にアクセスできる。そこで重要となるのは、情報にどうアクセスしてもらうか。
高等教育の目的は、情報にアクセスしようとする好奇心や動機を育てること。だから、学生が自然と質問できるようにしなければならない」
「プログレッシブな教育だと、それができると」
「うん。教員の役目は上から学生を引っ張るのではなく、学生が自分の専門領域を考えるために必要な好奇心を下から支えることだから」
日本の学生が勉強しないのはなぜ?
「プログレッシブな教育ができてないことにつながると思うんですけど、日本の学生って海外の学生と比べると、全然勉強しない傾向がありますよね。それについてはどう考えていますか?」
「『日本の学生は勉強しない』というのは事実。研究結果を見れば勉強時間はとても短いから。でも、それはシステムに問題があるのだと思う」
「学生ではなく、システムが良くないと?」
「うん、実際日本の学生をアメリカの大学に入れると凄く勉強するから」
「確かに、留学した人はかなり勉強してるイメージがありますね。すると、システムにはどういう問題あるのでしょうか?」
「問題のコアにあるのは、教員が授業準備のための時間を取れないこと。日本の大学では担当しなければいけない授業数がアメリカの2〜3倍は多い」
「それ、この間ゼミでも仰ってましたね。別の先生から伺ったんですけど、雑務も多いんですよね?」
「多い」
「雑務って具体的にはどういうことがあるのでしょうか?」
「大学の情報共有のための会議をしたり、学部・学科の主任の業務をしたり、短期留学プログラムのために海外の大学と連絡したり、その飛行機や宿泊先の手配をしたり……。
海外の大学だと学科主任は担当する授業数が減るか無くなるし、管理職専門の事務の方がいて雑務をほとんどやってくれたりする。教員が授業と研究に専念できるように仕組み付けられている」
「だから、現実的に授業の準備ができないと……。ほとんどの教員は使い回しのスライドやレジュメを読み上げているだけなので、単にやる気ないだけかと思ってました」
「でも、それは教員養成の問題もあると思う。多くの人は自分が受けた教育と同じ教育をする。それこそ学生時代にレジュメを読み上げるだけの授業ばかり受けていれば、教員になったときも同じようにやってしまう。そういう悪循環があるから、工夫ある授業をできる教員が育ちにくい」
「なるほど、時間が取れない仕組みと教員養成の悪循環があるわけですね。ちなみに、このほかにも問題はありますか?」
「大人数授業が多いことも問題だと思う。少人数グループを作ってディベートやディスカッションをしたくても、各グループへの指導はもちろん、様子の把握もできない。
そうなると必然的に、意欲的なグループとそうでないグループが出てきてしまう。現実的な問題として、大人数授業ではプログレッシブな教育は難しい」
「アメリカの大学でも大人数授業はあるんじゃないですか?」
「アメリカでも大人数授業はあるけれど、大きな違いは大学院生の裁量が大きいところ。アメリカでは院生が授業を担当できるし、レポート課題などの採点もできる。大人数授業でのディベート・ディスカッションの様子や授業で出すレポートは院生が見てくれる。
でも、日本だと院生が授業できないし、採点すらもできない。だから、授業でレポートも多く出せない。数百人分のレポートを1人の教員で全部チェックすることになれば、それだけで1週間が終わってしまうからね」
「そうですよね。500人くらいの授業でレポート出したりするとき、『これ、本当に読んでるのか?』といつも思います」
「多分軽く目を通すか、提出したかどうかをチェックするだけかな。
理想を言えば1クラス10人以下だけど、大学の運営的に学生を増やさないといけないから大人数授業が増えてしまう」
「なんで学生の数を増やさないといけないんですか? 秋田の国際教養大学とか少人数でやれてると思うんですけど」
「国公立は国からの援助があるけど、私立大学は自分たちでお金を稼がないといけない部分が大きい(※)からじゃないかな。学生を大量に囲い込まないと経営が難しくなる」
私立大学にも「私立大学等経常費補助金」という補助金がありますが、国立大学への「運営交付金」との間には大きな格差があります。平成28年度の国立大学法人運営交付金は、国立86大学・4研究機構に総額1兆945億円。一方、私立大学等経常費補助金は、877校に総額3,211億6,333万7千円。
参照:28 年度 国立大学法人運営費交付金 – 旺文社 教育情報センター/平成 28 年度 私立大学等経常費補助金交付状況の概要
「経営的な問題もあるんですね……! なんかすごい雁字搦めだ……!」
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大学を変えるためにはどうすればいい?
「大学のシステムの問題は分かったのですが、では現実的に大学を変えていくとすれば、どうすればいいと考えていますか?」
「いくつかステップはあるけど、まずは学部・学科のカリキュラムを変えること。プレゼンやディベートをする科目を必修化し、学生主体の学びを促進していく」
「教育文化学科でも既に1つ新しい科目できましたもんね。『体験教育実習(※)』っていう」
「うん、『体験教育実習』は2018年度から必修科目になる。各学期、学生が授業計画練ってインターン・ボランティア・留学するようになれば、凄く面白いと思う」
「第一ステップとしてカリキュラムを変えることはできつつありますね。次のステップはなんですか?」
「海外の大学と協定を結んで、定期的にうちの学科に留学生が来るようにすること。
僕の授業は留学生が多く受けてくれているけど、彼らは本当によく発言してくれる。日本とは違う教育を受けてきた意欲ある学生が来てくれると、日本の学生の意識も変わってくると思う」
「確かに。留学生が増えれば、意欲的に授業に参加するのが当たり前になってくるかもしれないですね」
「あとは、学科・学部で結果を出していくこと。うちの学科がプログレッシブな教育で良い結果を出せば、他の学科・学部もうちのマネをするようになるかもしれない。
そして、大学全体がプログレッシブな教育を導入していくようになり、他の大学もマネするようになっていく……。僕が想像できるのはこういう流れかな。凄い時間がかかるかもしれないけど」
大学の学問は社会では役に立たない?
「『大学の学問は社会では役に立たない!』という声もよく聞きますし、大学ってもはや『就職予備校』としての側面が強いじゃないですか」
「そうやな」
「『アカデミックは不必要!』とは思わないんですけど、どうして実学的なものってあまりないんですかね?」
「いくつか説はあるけど、そもそも大学の目的は就職ではなく教養をつけることだったのが大きい。哲学・宗教・歴史・科学を語ることができる人材、いわば『ジェントルマン』を育てる場というのが大学のルーツ」
「ジェントルマン……!」
「それに昔は弁護士や教師、牧師といった現在でいうところのホワイトカラーの職に就くことが多く、ある程度仕事とつながるところがあった」
「教養がないと、そういう職には就けないと考えられていたんですね」
「うん。いま多くの学生がやっているような仕事、たとえば、銀行員とかは大学ではなく専門学校を出た人がやっていた。
でも戦後、テクノロジーの発達にともない仕事が複雑化し、大卒の数も増えた。それまで専門学校卒の人がやっていた仕事を、大卒の人もするようになった。ここでギャップが生じる」
「大学は教養中心なのに、仕事では技能中心になってしまった…… 」
「そう。あと、教員の専門性もあると思う。極端な言い方になるけど、ソクラテスが専門だったらソクラテスしか知らないから、実際の仕事ですぐ使える技能は教えられない」
「なるほど。教員の意識としては『実学は必要ない!』と思ってる人は多いんですかね?」
「必要ないというよりか、教養の中に技能が入っているという考え方をしてる人が多いかな」
「あぁ、直接的には仕事に使えないけれど、間接的には使えるということですね」
「そうそう。例えば、卒業論文を書くことによって、文献の探し方や文章の書き方など学び、批判的思考能力を身につけている。たとえ研究者にならなくても、そうした教養は役に立つはず」
「それは間違いないですね。ディベートができるようになれば、自分の考えを端的に伝えれるようになりますし」
「僕もどちらかと言うと、教養的な『リベラルアーツ』は重要だと思う。プログラミングばかりやっていれば、プログラミングの天才になるかもしれない。でも、実際に作ってるものや勤めている会社を、歴史的・政治的・宗教的・感覚的に理解できなくなる可能性がある」
「僕もそれは同意です。ある程度の教養が無いと、プログラミングでも何でも、何のためにやってるのか分からなくなると思うんです。どれだけ凄いスキルを持っていても、その活かし方を間違えれば意味ないですし」
「うん。リベラルアーツの中でプログラミングもできれば良いと思う。今はどちらもできてないからね」
「リベラルですらないっていう(笑)」
「そりゃ、教科書だけ読んでてもね(笑)」
留学・インターンはすべきか?
「大学のシステムだけでなく、高校のシステムにも問題はあると思う。
内部生と外部生を比べてみると、意外と内部生の方が意欲的に授業に参加してくれる傾向がある。これは完全に仮説だけど、外部生は「大学に入学する」という目的がずっとあったから、大学に入った途端、勉強する目的を見失ってしまうんじゃないかな。
内部生にはそういう目的がなかったから、『勉強は勉強のためのものだ』という純粋な好奇心が強いかもしれない」
「それは間違いなくありますね。あと、内部生、特に同志社国際高校出身の人は海外留学してる割合が多くて、海外的な思想の影響を受けているところもあると思います。
そこでいうと、『日本の学生は主体性がない』と言わがちですけど、実際に主体性が無いと思いますか?」
「思う。それもシステムのせいだと思う」
「そのシステムから離れるためにも、先生は僕らに留学やインターンを勧めているってわけですね」
「うん、必修にしたいくらい!(笑)」
「個人的には、受験のための勉強みたいな感じで育ってきた人は休学はした方がいいなと思いますね。一旦普通のレールから外れて自分を俯瞰してみると、『自分って何のために生きてるんだろ? 自分は本当は何がしたいんだっけ?』って考えるようになるんです」
「わかるわぁ……」
「その自問自答があるからこそ、大学の勉強に打ち込むようにもなるんじゃないかなぁと。もちろん逆に、他のことに関心が向いて大学辞める人もいるんですけど、それはその人の本当にやりたいことだから良いと思うんですよね」
「で、なんとなく学校が面白くない原因を批判的に考えられるようになるでしょ?」
「なりますね!」
教員は学生からもっと批判されるべき?
「『学生から批判されたくない』と多くの教員が思うけど、僕は批判されたい」
「それはなぜですか?」
「批判されないと改善されないから。『意味のない授業だ』と言ってくれない限り、そのまま続けちゃう」
「間違いないですね。正直教員の方々も気付いているけど、直接言われないからこのままでいいやってなっちゃっている面もあるんじゃないかなぁと。
多くの学生から批判されたり、ボイコットされたりしたら変えざるを得ないと思うので、僕ら学生はもっと批判すべきだなとも思います」
「アメリカでは『Rate My Professors』という、学生が教員を評価するサイトがある。
僕はこの評価制度には賛成ではあるけど、教員が完全に学生の希望通りに動くのもおかしいと思っている。多くの学生からの評価が低くても、教員として素晴らしい人はたくさんいるから。
例えば、僕がすごく影響を受けた教員がいまアメリカの大学で勤めているんだけど、『Rate My Professirs』では評価が低い。でも教員の立場から見れば、彼は本当に素晴らしい教員だと思う」
「どういうところが素晴らしいと?」
「質問中心で授業を進めていて、とてもよく考えさせられるところ」
「あぁ、まさにプログレッシブな」
「そう。批判の内容は『抽象的な話ばかりで分かりづらい』とか、『試験の内容を教えてくれない』とか。彼の考えでは敢えて抽象的な話をして、考えさせるようにしているんだけど……」
「まぁ学生からしたら、そんなこと分からないですよね。できればラクに単位が取りたいですし」
「うん。だから、学生からの評価が低い教員は学生に対して『この授業はつまらない』と思っているかもしれないけど、こういう意義があるよって伝える努力はしなきゃいけない」
「そうですね、意義を感じない授業にやる気は起きないですから。でも、こうした参考になる指標が1つあるのは良いですね。授業の改善が捗りそう」
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学生に必要なこととは?
「大学について思うことはたくさん伺えたのですが、先生個人としては、学生にどういう風になってほしいと思っていますか?」
「そうやな……。好奇心・行動・ボランティア精神、この3つをもっと持ってほしい。授業や本で知ったことをもっと深く知ろうとする。だけど、ただ知ることだけで終わらず、実際の行動につなげて他人に貢献できる学生がもっといたら嬉しい!」
「アメリカではNPOが就職ランキング1位になるくらい、ボランティアが盛んですよね。ボランティア精神が生まれるには何か理由があるのでしょうか?」
「アメリカでボランティアが進んでいるのは、キリスト教の影響があると思う。いまやクリスチャンじゃなくても、利他的な文化は広まっている」
「それ疑問に思ってました。アメリカは個人主義ですけど、それって利他精神と相反するものじゃないんですか?」
「むしろ、逆かな。個人主義があるからこそ、『”自分が”助けないと!』という意識が強く働くんだと思う。集団主義だと自己責任を感じにくいんじゃないかな」
「『”誰かが”やってくれる』と」
「そう。あとは、ボランティア自体の評価がすごく高いことも要因としてある。アメリカのトップの大学に行くなら、ボランティア活動をどれだけやってきたかって必ずアピールする」
「ボランティアが進路にも影響するんですね」
「うん。ボランティアは当然だし、自分で考え行動していくのが文化になっている」
「それが日本の場合だと……」
「無いとは言わないけど、薄い」
「好奇心・行動・ボランティア精神。確かにこの3つがあれば、多様な生き方が望まれるこれからの時代、上手くやっていけそうです。広めていきたいですね」
累積する大学の諸問題について、「これだから日本の大学は……」というふうに思う方は多いと思います。
僕自身、かつてはそう思っていました。でも、よくよく視てみれば全てが最悪ってわけでもないんです。
ビリー先生のように大学を良い場所にしようと頑張っている先生もいますし、問題意識を持って精力的に活動する学生も少なからずいます。
今回、僕がこの記事を通して伝えたかったのは「これから」のこと。「これだから……」と悲観するだけじゃなくて、「これからは……」と考えて動き出すこと。
そんな人が増えれば、日本の大学も、教育も、国も、ひいては世界全体も少しずつ良い方へ変えていけるんじゃないかって思います。
この記事がそのきっかけの1つになれば、幸いです。
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