「コミュ障を発揮する」という言葉

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どうも、のさか(@breakconnect)です。

僕は自他とも認める「コミュニケーション障害(以下コミュ障)」で、「はい、今から2人組作ってくださいね〜」とか言われると、先生と組んだ思い出がいつも蘇ります笑

そのくせプライドだけは無駄に高くて、少し前までは「コミュ障」とか「ぼっち」とか他人に言われるのが、怖かったし、恥ずかしかった。

そんな僕ですが、そういう言葉の中で1つだけ割と好きだなと思えるものがあります。

それが、「コミュ障を発揮する」という言葉。

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「コミュ障を発揮する」という言葉の些細な矛盾

「コミュ障を発揮する」という言葉には、本来はマイナスとして捉えられがちなものをプラスのものとして活用するという矛盾があります。

そもそもネットスラング的に使用されている「コミュ障」とは、視覚・聴覚障害といった身体的障害に起因するものではなく、精神的な障害に起因する極度の人見知り・口下手・どもりのことを指しています。

「あいつコミュ障でぼっちやからな……」「ワイ、コミュ障過ぎワロタwww」のように誹謗中傷・自虐といった類のマイナスイメージが世間一般的なんですよ。

一方、「〜を発揮する」と聞くと、「本領を発揮する」とか「才能を遺憾なく発揮する」とか、対象となる人やものが持っている能力や技術を活用するというプラスイメージが一般的だと思います。

(堅めのを本を良く読まれる方だと、「〜を発揮する」という言葉にはプラスでもマイナスでもないイメージかもしれませんが。)

だから、「コミュ障を発揮する」という言葉は「コミュ障」を障害ではなく、能力として捉えていることを象徴しているように感じるんですよね。

マイナスをプラスに

障害的な性質は多かれ少なかれ誰しもが持っているもので、その程度が病名(症状名)と結び付けられるくらい顕著に現れている人を「障がい者」と呼んでいるわけです。

障害を病気と言えば話は簡単になりますが、病気と名付けなかった場合は、ただ単なるその人の性質・特徴・能力でしかないんですよね。

にも関わらず、障がい者と健常者間にはありえないほどの溝があって、障がい者は「可哀想な存在」、「助けが必要な存在」、ひいては「劣っている存在」とすら認識されているようにも思えます。人間なんて誰かと比較すれば、劣っている面はありますし、他人の助けが必ず必要なのに。

障害をマイナスでしか捉えられなくなったら、ある種偏見的になりませんかね? ちょうどパラリンピックが民放でなかなか放送されないように。

だからこそ、障害をプラスのものとして捉えようとする試みは必要なわけで、その点でいうとLITALICOさんは本当に素敵な会社だなぁと。

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最後に

重要なことは「障害はその人の個性的なものであり、特徴的なもの」と捉え、障がい者と健常者との間にある心理的な溝を埋めていくこと。そして、その個性や特徴を発揮できる場を作ることです。

日本人の全人口に対する障がい者の割合は約6%(※)とマイノリティですが、700万人以上いると考えるとすごい数じゃないですか?

僕も「コミュ障を発揮する」のように、障害と呼べない障害であっても活かせるようにありたいなぁと。

ちょっとばかりこじつけになりましたが、今日はこの辺で。

ではでは。

※参照 – 平成25年度障害者白書(概要) – 内閣府

 

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