どうも、のさかです。
先日、ボーカリストのぼくのりりっくぼうよみさんが才能についてのTweetをしていました。
才能って言葉、わりと滅ぼしたほうがいいんじゃないかとおもう 単に適性×時間だし 何かをあきらめるための言い訳として便利すぎる
— ぼくのりりっくのぼうよみ (@sigaisen2) 2017年1月7日
賛否両論あると思うのですが、僕はその通りだなぁと。(一部の例外はあるにしても)才能というのは単に「適性×時間」なんだと思うんです。
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適性のないことで努力するのは良くない
人には向き不向き(適性)があります。話が上手でも文章書くのは下手っていう人がいれば、その逆もまたしかり。
適性のないことにどれだけ時間を費やしても、適性があってそれなりの時間を費やしている人には勝つことも勝ることもできません。だからこそ「競争」や「価値提供」を前提とするのであれば、不向きなことを努力し続けるのは良くないのです。
短距離走で日本人(黄色人種)の選手は黒人の選手には勝てないですし、音楽にしても声もリズム感も音域も感性も人それぞれ違うので、誰しもが売れるミュージシャンになれる訳ではありません。
ここまでの話を読むと「じゃあ才能って適性のこと?」と思われるかもしれませんが、そうではありません。たとえば同じ分野で適性90の人と100の人がいて、前者の投下時間が101だとして後者が90だとするなら、前者が勝ち(勝り)ますよね。なので、単に適性だけで才能を語ることはできないというわけです。
ほとんどの人は自分の適性に時間をかけない
そして幸か不幸か、ほとんどの人は自分の適性に気づいていなかったり、その適性を活かすことを恐れて時間を投下しなかったりします。
音楽の適性があったとしても、音楽で食っていくのはサラリーマンよりもリスキーなので「自分は音楽の才能が無い」と勝手に諦めてしまう人はとても多いのです。
恐らくジョン・レノンが「根本的な才能とは、自分に何かが出来ると信じることだ」と言った(※)のは、このことを指しているのでしょう。
※発言自体のソースは不明(才能とは何か!色んな分野の才能たちが発した「才能」の定義!!!)
とりわけ日本では、長所を伸ばすより短所をどうにかする方に重きが置かれている上、平均的であることが好まれるので、自分の適性に気づきにくいものです。自分の適性に気づいていない人は、自分がどういうことが好きなのか、どういうときに幸せを感じられるのかを明確にするよう心がけてみると見つかりやすいかと思います。
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好きなことと向いていることは違う
ただ1つ注意したいのが、“好き”なことが必ずしも向いているとは限らないということ。ここ最近「”好き”を仕事にしよう」みたいなことをよく耳にするせいか、「”好き”を仕事にしたい」と言う人が多い気がします。
もちろん、好きなことには時間を投下し続けやすいですし、日々の充実感も高いかもしれないのですが、「仕事」としてやっていくには少し違った意味合いがあるんですよね。それは先程も書いた「競争」と「価値提供」です。
たとえ音楽が好きであっても向いてなければ、ファンをつくることができず、他に数多いるミュージシャンに埋もれてしまいます。つまり、食っていけないんですよ。
食っていけるだけの適性がないのであれば、わざわざ仕事しなくても趣味でやればいいだけの話(それか片手間で食える何かをやるか)。
これは残酷かもしれませんが、「自分にはこれしかない!」と決めつけて、向いていないことにすがる方がよっぽど辛くて残酷なことだと思うんです。
ほとんどのことには適性は関係ない
だったら、いくら勉強しても成績が伸びない子は勉強向いてないから他のことやるべきなのか、という話にもなりそうですが、そうではありません。
なぜなら勉強を含めほとんどのことには、適性なんて関係ないからです。心理学教授のAngela Lee Duckworth(アンジェラ・リー・ダックワース)さんが出した研究によると、生まれつきの才能と成功は関係がないそうです。
ニューヨーク市内の公立学校で、7th grade(日本でいう中学1年生)の子供たちに数学を教えていました。多くの先生方がやっているように、質問や問題を出して解かせたり、テストをしたり、宿題を出して、子供たちが提出してくれた宿題を採点し、評価をつけていました。
すると驚いたことに、最も成績の良い生徒と最下位の生徒との違いは、IQだけでは説明がつかなかったのです。IQの数値は特別優れているわけではないにも関わらず、テストで上位の成績をとる子もいました。
逆にIQの数値は高いのに、テストでは点数が取れない子もいました。その経験から、私は次のように考えるようになりました。7th gradeの数学で子供たちが学ばなければならないことは、―割合や小数など、もちろんそれなりに難しいけれども―努力すれば理解できる範囲のもの、決して不可能なものではないはず。
それで私は確信しました。IQの数値に関係なく、生徒たちは誰でも皆、時間をかけて勉強に取り組みさえすれば、必ず出来るようになるということを。
(中略)
成功を収める人たちは、共通してある1つの性格を持っていることが明らかになったのです。
(中略)
それは高学歴や知能の高さではありませんでした。外見の良さでも、身体的能力の差でもありません。これこそが「グリット」です。
「グリット」とは、物事に対する情熱であり、また何かの目的を達成するためにとてつもなく長い時間、継続的に粘り強く努力することによって、物事を最後までやり遂げる力のことです。
(中略)
私が自信を持って言えることは、生まれ持った才能や知能はグリットに関係しない、ということです。生まれつき素晴らしい才能や知能を持っているにも関わらず、十分な結果が得られなかった人はたくさんいます。
それはただ単に、その才能・知能を伸ばすための長期的な、継続的な努力が足りなかっただけなのです。これは私たちの研究結果において、とても明確に証明されています。
引用 – 成功者が共通して持つ「グリット」という能力–才能でも、努力でもない第3の要素とは?
もちろん、勉強1つとっても多少の向き不向きはあると思います。ただ、少なく見積もっても高校くらいの勉強内容であれば、効率的な勉強の仕方に時間を投下すれば誰でもできるようになるんじゃないかなぁと。
だからこそ「自分には才能が無い」とか「運が悪い」とか言ってないで、とにかく手を動し続けるべきなんですよ!
参照:運の良い人と悪い人の違い
最後に
繰り返しになりますが、その一方で自分の適性をしっかり見定めて選び、そこに時間を集中させるのも大事なことです。なんだかんだ「才能がある」とか「凄い」とか言われている人って、大体がその「選択と集中」がしっかりできているんです。
そういう人の基準を知るっていうのも凄く重要なので、そういう人がいる環境に意識的に行くようにした方が良いですよ!
それでは今日はこのへんで。ではでは!
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