どうも、のさか(@breakconnect)です。
「この人考え方が好き、あの人はなんだか嫌い」といった好き嫌いは誰しものが持っているもの。
僕も大学2年生くらいまでは、かなり好き嫌いを全面に押し出していたのですが、なぜ好きなのか、嫌いなのかはほとんど考えていませんでした。
しかし、今になってみれば、これはいけないなぁと思うんですよね。
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好き嫌いが単なる偏見になるとき
もちろん、好き嫌いは誰しもがあるもので、それを否定して押し殺す必要は一切ありません。
しかし、なぜそうなのかを考えないと自分の世界はどんどん狭くなっていくものです。
というのも実際、自分の中の好き嫌いの理由を考えていくと、その殆どが単なる偏見でしかないものだったりするから。
要は、好き嫌いの対象となるものには非がないのに無条件的に嫌ったり、あるいは、おかしな点があるのに盲目的に好いたりしているわけです。
そこには、論理性も建設性もなく、ただの感情論しかないので、自分では偏見だとは気づきにくい。
だから、僕らは自分たちの偏見に気づくために、好き嫌いの理由をしっかり考えた方がいいのです。
最後に
また、嫌いなものの理由を突き詰めていくと、自分の中で「これはやっちゃいけない」と抑圧しているようなものが非常に多く出てきます。
言い換えれば、それは自分を不自由にしているものなので、その偏見を1つ1つ理解し受け入れていくことで柵(しがらみ)を解いていくこともできるのです。
自分の好き嫌いという感性を大事にしつつも、それが単なる偏見ではないかと絶えず疑うこと、それが僕らが自分の視野を拡げるためにやるべきことです。
それでは今日はこの辺で、ではではー。
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