僕らは「選ぶ」ことしかできない

ヒッチハイクをしていて、強く思ったことがあります。

それは僕らは「選ぶ」ことしかできない、ということです。

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「選ぶ」ことを実感する

「東へ!」と書かれたスケッチブックを持って立っているだけで、周りの目に耐えきれなくなりそうになったり、1時間以上経っても以降に乗せてくれる車が見つからなかったり、ドライバーに声をかけたらそっけなく対応されたり、もの凄く怒られたり……

ヒッチハイクをすると、「あぁ、もう止めにしようかな?」と揺らぐ瞬間がたくさんあります。

いや、それだけじゃなくて、「あのドライバーは忙しそうだな……」「強面のドライバーだし、怒られそうだな……」と声をかけるかどうか迷う場面もたくさんあります。

圧倒的な行動力と強い意志を持つ人はいざ知らず、僕のような小心者にとってヒッチハイクというのは、本当に葛藤の連続なのです。

だけど……だからこそ、様々な未来を想像することができるんです。

もし、あの時にこのドライバーに話しかけていなければ……? もし、スケッチブックに書くフレーズを変えていなかったら……? もし、ドライバーを待つ場所を変えていなければ……? もし、ヒッチハイクを途中で諦めていたら……?

少しでも「選択」が違っていたなら、この記事も、この記事も書くこともなかったでしょう。

選んだ先の未来

僕は続ける「選択」をしてきました。梅田から始めて3時間ほど車が見つからなかった時も、途中で高速を降りる車に乗ってしまった時も、福島へ行く際に声をかけたドライバーに怒られた時も

声をかけようか迷いながらも、勇気を振り絞って声をかける「選択」をして、乗せてくれたことも1度や2度ではありませんでした。

ですがもちろん、その逆もあるでしょう。

あるドライバーに声をかけなかった事によって、より早く目的地に着く別のドライバーが見つかったかもしれません。もっとおしゃべりが楽しいドライバーと出会えたかもしれません。

それは、僕らには分からない。

ただ確かなのは、僕らの未来はそうした1つ1つの「選択」の積み重ねでしかない、ということ。

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何気なく過ごす日々に広がる「選択肢」

普段何気なく生きていて、「あの時、こうしていなければ……」と思えるイベントは、そう起きていないように見えるかもしれません。

しかし、それは大きな間違いで、僕らの目の前には、常に無数の「選択肢」が広がっているんです。

朝早く起きるのか、ご飯を食べるのか、身だしなみを整えるのか、通学・通勤はどのルートで行くのか、誰に挨拶をするのか……分かりやすいので言えば、誰と関係を結ぶのか、とか。

朝起きてから夜眠るまで、大小様々な「選択」をしているわけです。

あなたがもし、「毎日毎日同じことの繰り返し」という風に日常を捉えているのなら、それは毎日同じであることを「選択」しているだけなのです。

あなたがもし、毎日同じではないことを「選択」すれば、日々の生活は少しずつ変わってくる、そういうもの。

僕らは「選ぶ」ことしかできないけれど

選んだ覚えはなくても、僕らは確かに「選ぶ」。

「私は選ばない! 草船のように流れに身を任せるだけだ!」と思っていたとしても、それも選ばないことを「選択」しているだけなのです。

どれだけあがいたところで、僕らは「選ぶ」ことしかできない。

でもこれは考えようによっちゃ、僕らは「選ぶ」ことができる、とも捉えることもできます。

自分の「選択」1つで、これから来る未来を変えることができる。自分の「選択」1つで、自分自身を変えることができる。

このことをもっと鮮明に実感できれば、自分にはどんな未来も「選択」することができるんじゃないかなぁと。

 

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