「”被災地”を自分の目で見てみたい」
気まぐれでそう思った僕は、ヒッチハイクで福島県いわき市へ向かうことに。その道中、震災にあったドライバーの方々と出会い、震災に関する様々なお話を伺うことができた。
無事、被害があったと言われる、いわき市小名浜にたどり着き、歩いてまわるも、震災の爪痕らしきものは一切見ることができなかった。少しがっかりして、僕は東北を出ることにした。
近くのコンビニで、持ち合わせてなかったカッパとスケッチブックを濡らさないためのサランラップを購入して、高速へ向かう道を探した。
「海岸沿いに歩いていけば、どこかに震災の爪痕が遺っているかも?」
そんな淡い期待を抱いて、僕は工場がただ立ち並ぶだけの、人通りの少ない海沿いの道を歩いた。
歩いて20分ほどすると、雨がポツポツ。その雨は次第に勢いを増し、僕はカッパを着ざるを得なくなった。
1時間ほど歩いてみて、やはり震災の爪痕らしくものは一切見つからなかった。両脇に広がるのは殺風景な工場だけであり、目の前には大型のトラックが大きな音を立てて走っているだけ。
足はぐしょぐしょに濡れ、カッパの中は蒸し暑く、キャリーバッグの車輪は長距離の移動のせいで壊れてしまっていた。
顔を歪めるような3重苦の中、歩けど歩けど高速につながるバイパスにはたどり着かない。「人通りの多いところで一般道でも良かったから、適当な車を見つけて乗せてもらえばよかった」と、ただひたすらに後悔した。
……恐らく、3時間はくだらない。服は汗でヒドく湿気っており、ビニールを被せていたはずのキャリーバッグにも水は浸透していた。
でも、ようやく、たどり着いた。
早速、購入したサランラップをスケッチブックに巻きつけ、ヒッチハイクを開始した。
信号待ちで止まる車に声掛けを20分ほどして、1台の車が捕まった。若くて、気前の良さそうなお兄さんだ。
お兄さんは、1週間ほど東北を1人旅していた。会社の制度で、必ず有給を消化しなくちゃいけないらしく、仕方なく消化している最中だった。
1人旅の目的は、僕とほとんど同じだった。僕よりももっと遠くに、そして、実際に見ていた。
話によると、原発付近は、除染作業専用の服を着た人が交通案内しており、脇には除染作業を終えた瓦礫が入った黒い袋が山積みにされていたらしい。
「除染が終わらないから、復興は難しいんじゃないか。できても、何十年先になることだろうか。」
いわき行きのヒッチハイクで乗せていただいた、ドライバー方が言っていたことを思い出した。
僕は、どうして被災地を見てみようと思ったのか、お兄さんに聞いてみた。
お兄さんはこんな事を話してくれた。
「被災のことを体験はできないけれど、その体験に近づいてみたい。他人事だけど、他人事にしちゃいけないんじゃないかって」
そうだ、僕はただ近づきたかったんだ。あの悲劇を僕は体験し得なかったから、せめてその体験に近づいて、感じてみたかったのだ。
テレビでどれだけ、震災のことを伝えようとしてくれたとしても、あの悲劇を体験し得なかった僕らは、きっと他人事にしてしまう。
本当は、同じ国、それもいつ同じ状況になるかもわからないのに。他人事ではないのに。
僕らは、他人事のように思っている。
だから、その体験に近づいて、自分事にしたかったんだ。
ふと目の前の霧が晴れるような思いがした。僕が被災地を見たかった理由が、ようやく自分の中で咀嚼できたからだ。
僕が「ふざけんじゃねぇぞ!」と怒られたことを話すと、「その人はその人で間違っていないんだろうね。そういう人もいるんだって知れて、かえって良かったんじゃないかな」と、お兄さんは言ってくれた。
まさにそのとおりだ。誰も間違っていない。
だけど、僕の選択は僕にとっては正しかった。僕の立場だけで話すのであれば、怒られてよかったんだ。
僕らはたくさん話した。震災のこと、観光地のこと、仕事のこと、恋愛のこと、将来のこと、コミュニケーションのこと、書きたくないけれど、かなり下のことまでも……
会話が楽しかった。お兄さんの考え方や価値観が自分と似ていて、多分、僕らは親友になれる素質を持っていた。
だからこそだろう。僕らは連絡先も聞かずに、さよならした。聞いたところで、今の楽しさを風化させてしまうことは分かっていたから。
それでいい。きっと、それがいい。
僕はヒッチハイクを始めた。あたりはもう真っ暗で、少し肌寒かった。
そこから乗り継いだ車のドライバーさん―遊びに出かける大学生3人組、友達との約束をすっぽかして僕を運んでくれたお兄さん、急な用件で移動中の社会人2人組、よくクラブに行くダンディなおじさん―には、今回の旅で起きたこと、感じたことをつぶさに話した。
僕は震災について語れるほど、何かを知っているわけじゃないけれど、ただ伝えたいと思った。それは、震災の体験についてじゃなくて、その体験に少しだけ近づいた僕自身の体験について。
心が動いてくれるとは思わない、実際に被災地に行ってほしいなどとも思わない。でも、伝えなきゃ自分に嘘をつくことになってしまいそうだった。
これは、僕のエゴだ。
このエゴを忘れてしまいそうになる前に、忘れないように、言葉にしておきたかった。
だから、”被災地”を見ることもできなかった僕が、こうして記事を書いている。
ガッツリとしたレポートを期待して、がっかりした人がいれば申し訳ない。次は必ず自分の目で見てくるからさ。伝えるか、自分の胸に秘めるかどうかはわからないけれど、その時まで、待っていてほしい。
この記事内で使われている写真はFlickrから取ってきた写真です。今回僕が撮ってきた写真ではありませんので、誤解の無いよう、よろしくお願いいたします。
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