僕は”被災地”を見ることができなかった【2】

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「”被災地”を自分の目で見てみたい」

気まぐれでそう思った僕は、ヒッチハイクで福島県いわき市へ向かうことに。その道中、震災にあったドライバーの方々と出会い、震災に関する様々なお話を伺うことができた。


最初に乗せていただいた車は、”福島”ナンバーの夫婦2人。

原発からほど近い、南相馬に住んでいた。

と言っても、山奥の方のため、津波や原発の被害はあまり無かったようで、ざっくばらんにお話することができた。

被災地域についての知識が乏しい僕は、いわきが被災地だと思っていたのだが、いわきはもう復興が済んで別段、被災地として見れるところは無いのだと、その時知った。

ただだからといって、原発付近や被害が大きい場所は、車が無いと行くことは難しいらしい。

ヒッチハイクで来るべきところではなかったようだ。本当に自分は何も知らなかったんだなと恥ずかしくなった。

いわきに行くなら次のSAが良いとのことで、友田SAに降ろしていただいた。

そこから2台目の車を探して、ある”いわき”ナンバーのドライバーに声をかけた。

「すいません、今、僕は学生でいわきまでヒッチハイクをしているんですけど、途中まででも乗せていただくことはできせんか?」

「なんだ君? 信用できないわ。どこから?」

「そうですよね、突然声かけられて戸惑われたと思います。大阪から来たんですけど、東北へは前の守谷SAから始めさせていただいております。」

「いやいや、そんなん信用ならないわ。大体君、非常識だと思わないの?」

「非常識……?」

「初対面で、急に車の乗せてくれってさ」

「確かにそうですよね、申し訳ありません」

「そもそも、なぜいわきなの?」

「不謹慎かもしれないのですが、被災地を自分の目で見てみたいと思ったので」

「あぁ、ダメだわ。」

「え?」

「お前、ふざけんじゃねぇぞ! 物見遊山のつもりで来たんだろ!」

「いえ、そういうつもりでは……」

「うるせぇ! ふざけんな! 俺らはな、まだ家ねぇんだぞ! それを『被災地を見てみてみたい』だぁ? ふざけんな、帰れ! 反対側に登りの車線見えてるだろ!」

「不愉快な思いをさせてしまい、大変申し訳ありません」

「テメーみたいなやつが一番嫌いだ! 大体、大学ももう始まってるだろ!」

……

ここからは僕がひたすら平謝りするだけなので、割愛するが、要するにこういう人もいるということだ。

僕は今回被災地に行こうとする前、被災地支援のボランティア団体をしている友人に相談をしていた。

今更、被災地に行こうとする行為は、不謹慎で迷惑なんじゃないかと思ったからだ。

もちろん僕は、物見遊山のつもりもないし、写真を取ってSNSにアップして「災害についてちゃんと考えている僕エラい」アピールをするつもりもない。ましてや、感動ポルノっぽくブログでレポートするつもりもなかった。

だけど、「何のために行きたいのか?」と問われると、答えに窮する。

ただなんとなく、見ておかなくてはいけない気がしただけだから。

きっと、その人にとっては、物見遊山気分のバカで非常識な大学生くらいにしか見えなかったんだろう。そうじゃないと弁明したかったけれど、何も言い返すことができなかった。僕は、こと震災に関しては何も知らない、バカなのは事実だったから。

もちろん、ある程度はこういう人もいるだろうと予測していた。でも、実際面と向かって言われると、正直胸が痛む。

「どうせ被災地らしいところは見れないだろうし、もうやめにしようか?」

そんなことを思ったが、ここまで来て引き返すというのも、どこか悔しい。それに、何故かはわからないけど、ここでやめたらダメな気がした。

30分ほど考えて、続ける決心が着いたので、片っ端から”いわき”ナンバーの車に声をかけていくことにした。

1時間ほど粘って乗せていただいたのは、レッカー車のおじさん。

いわき駅付近まで行くものだと思い、安心したのも束の間。その手前で降りるとのことで、近くのPAまで送っていただくことになった。

「軽々しく震災のことを聞いたり、被災地に行くとかってやっぱり迷惑ですかね?」

先程のことがあったので、僕は恐る恐ると伺った。

すると、おじさんは「いや〜、人それぞれじゃないかなぁ。俺は全くそうは思わないけど」と何事もなさそうに話してくれた。

聞くところによると、その方は津波や原発の被害は受けなかったそうだが、震災で友人を何人も亡くされていた。

なかには、津波の被害を受けながらも生き残った友人もいるそうで、その生々しいお話を伺うことができた。

人間は、”第一波”では死なないらしい。

津波の第一波時点では、何かにしっかりしがみついていれば、助かる可能性もある。ただ、地上へ乗り上げた波が海へ戻ってくるとき、その波は様々な物を連れてくるのだ。

壊れた家屋、道端に立っていた看板、当たり前に育っていた木、さっきまで走っていた車……その波は例外なく、人間も連れて行ってしまう。

「なんとか助かった……」と思った矢先、すぐに絶望はやってくる。聞いた瞬間、僕はそんな体験、絶対にしたくないと思った。

そんな稀有なお話を聞くことができたところで、目的のPAに着いた。おじさんにお礼を言って、車が見えなくなるまで、深々と頭を下げた。

その目の前には、タバコを吸って休憩している、40代前半くらいの男性が立っていた。「あの状況を目にしていたら、もはや自分が何者か説明不要だろう」と思い、声をかけたところ、乗せていただけるとのこと。

荷台に荷物を詰めたところで、その方のお子さん2人が戻ってきた。僕は初めての親子連れの車に少し戸惑いながらも、それなりの挨拶をして出発した。

話は自ずと、震災についての話題になった。

3.11から1ヶ月ほどは電気や水道は使えず、お風呂にはほとんど入っていなかったこと。ようやくライフラインが整ったときでさえ、4.11があり、またライフラインは途切れたこと。それらの出来事をまるで他人が体験したことのように、何事もなさそうに語っていただけた。

僕は余震があったことくらいは流石に知っていたが、「4.11」と呼ばれる震災は知らなかった。

話をすればするほど、やはり僕は何も知らないことに気付かされる。多分、こうして記事を書いている今の僕でさえ、ほとんど何も知らないのだろう。

そんな無知さ加減を察してか、その方は高速へ降りてから見える景色一つ一つ指して、解説してくれた。

「ここの橋は、津波で埋もれそうになった」「あの火力発電所は、しばらく使えなかった」「この通りは、瓦礫が流れていた」

当初僕は、駅付近にはホテルか何かあるだろうと踏んで、いわき駅で降ろしていただくようお願いしていた。しかし、いわき駅付近は、被害の場所から遠いからと、その方は小名浜をおすすめしてくれた。

その日、僕は小名浜のビジネスホテルに泊まることにした。

ホテルに着いてお礼をいうと、お子さん2人が「がんばってください!」と声を揃えて言ってくれた。遠ざかっていく車を見つめていると、色んなことがふと思い出された。

声をかけても無視されてしまったこと、ヒッチハイクのアドバイスをしてくださったこと、「ふざけんじゃねぇぞ!」と叱ってくださったこと、乗せていただいたこと、たくさんお話を聞かせていただけたこと。

その全部が正しくて、意味のあることなんだと、そのとき自然と思えた。


この記事内で使われている写真はFlickrから取ってきた、3.11当時の写真です。今回僕が撮ってきた写真ではありませんので、誤解の無いよう、よろしくお願いいたします。

参照:僕は”被災地”を見ることができなかった【1】

参照:僕は”被災地”を見ることができなかった【3】

参照:僕は”被災地”を見ることができなかった【4】

 

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