どうも、のさか(@breakconnect)です。
僕はとにかく自分を変えたくて、これまでいろんな事やってきたのですが、複数の立場を経験してきたのはかなりオイシイなぁと最近思うんですよね。
というのは、複数の立場にまたがっていることで、調整することができるからです。
今回は、複数の立場にまたがる「間の存在」であることについてお話していきます。
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先輩・後輩の間にまたがる
例えば、先輩と後輩の間に立つということ。
いま僕は大学4年生なのですが、3年次に1年休学していたのでゼミは3年生と一緒に受けています。
僕が属しているゼミはかなり活発で様々な施策を行っているので、3,4年生間で積極的にコミュニケーションを取っていかなければなりません。
ですが、現状は4年生はかなり意欲的に活動しているけれど、3年生はあまり乗り気ではないんですよね。
やっぱり先輩・後輩の関係なので、3年生側は自分たちが思っていることをハッキリとは言いづらいし、4年生側もコミュニケーションが取れていないので3年生の意欲に関心が向かない。
つまりは、誰もこの現状を打破できないでいるんです。
ところが、僕は立場的には3年生と同じなので、3年生が思っていることは分かりますし、直接聞き出すこともそう難しくはありません。4年生に対しても自分が思っていることをハッキリと言えます。
だから、僕は3年生の総意を汲みとって、「3年生やる気ないけど、どう思ってるの?」と4年生に言いました。ええそれはもう、めっちゃフランクに。
その結果、次週に3,4年生で話し合いの時間を設けることになりました。これは僕が3年生と4年生の間の存在であるからこそできたことでしょう。
「間の存在」は複数の立場を調整し、つなぎ合わせる
上に挙げたのはほんの一例ですが、こんなふうに複数の立場にまたがっている「間の存在」はかなり役に立つ人材なんじゃないかなと。
つまりは、複数の立場の間に生じている齟齬・軋轢を解消し、つなぎ合わせることができるのが「間の存在」というわけです。
人はできる限り衝突(話し合い)を避けたがるものなので、核心を避けるような話題をついつい繰り広げてしまうものですが、「間の存在」は割とダイレクトにその核心に触れることができるわけです。
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最後に
「間の存在」などと回りくどい言い方をしていますが、言い換えれば、中庸な立場でいることなんですよね。
僕はしつこく、中庸が大事だということをこのブログでお伝えしてきましたが、僕自身は中庸であることは結構辛い部分がありました。
参照:正解・不正解を決めるのは思考停止。だけど、中庸に偏らず意見を持つ
だけど、「自分は『間の存在』なんだ」と考えるようになってから、中庸であることを前向きに捉えられるようになってきました。
自分の中庸性に悩む方は是非一度、こういうふうに考えてみてください。
それでは今日はこの辺で、ではではー。
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