どうも、のさか(@breakconnect)です。
インターンシップをしていた頃、ライターや編集者の採用業務をやっていたのですが、採用・不採用を決める際に1つ頭に置いていたことがあります。
それは、「不採用(不合格)を出すことは、他人を不幸にすることではない」ということ。
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「情け」をかけることの不毛さ
僕がこう思うようになったのは、実際にインターンでライター・編集者の採用に失敗した経験があるからです。
採用活動を始めたての頃、選考は最初に志望動機などの基本情報を伺い、その後適性を見る課題を提出していただくというスタンダードなものを実施していました。
いただいた基本情報や課題からその人のやる気や働ける時間、記事作成能力、コミュニケーション能力などを見て、採用・不採用を決めるわけですが、あまちゃんだった僕はここである迷いを生じさせていました。
それは、「一生懸命課題に取り組んでくれた、やる気満々の人を不採用にしていいのか?」というもの。不採用にする際は、選考官はたった数行のお祈りメールを送るだけですから、そりゃ申し訳無さも感じてしまいます。
そんな申し訳ない気持ちが後押しして、採用を始めたての頃は頭数も少なかったこともあったので、やる気がある方はある程度適性がなくとも採用していました。
しかし当然のことながら、ここで問題が生じます。適性がない方が実際に業務を始めても、なかなか思うような成果が上がらないのです。
そのため僕は実際に会ったり、Skypeやハングアウトを通して業務を教えたりもしましたが、1つの記事も掲載できないまま連絡がつかなくなった方もいらっしゃいました。
こうなると、採用された人も向いていないことに時間を割かなければいけないわ、教育・管理コストで僕の業務は増えるわで、お互いが「不幸」になってしまうわけです。
何度かこういったことを繰り返して、ようやく気づきました。自分の身勝手な「情け」や「慈悲」が、人を苦しめていることに。
その人を採用すれば、お互い幸せになれるか
このことから思うに、採用の際に最も大きな判断基準とすべきなのは「その人を採用すれば、お互い幸せになれるかどうか」なんですよね。
採用した側とされた側のお互いが幸せになれないのであれば、採用したとしても長続きしないし、お互い不幸になってしまう可能性が高い。
それゆえ、選考官は自分の身勝手な「情け」で本来の判断を歪めてしまうことは絶対してはいけないし、そんなものを選考の判断に含めるのは自分が可愛いだけで、他人の事なんてこれっぽっちも考えちゃいない。
もちろん、不採用を伝えることはいつだって心苦しいものです。でもだからこそ、選考しに来た人を無碍に扱うようなことをせず、敬意を払うべきなんだと思います。(企業の人事さんを見ていると、たまにこうした感覚が無いんじゃないかと思える人がいます。)
そんなことを思いながらも、相手の幸せを願って正確な判断を出せる人が本当の意味で「人を見る目がある」人なんだろうなぁと。
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最後に
また、こうした視点は、いま就活をしている方も持っておいたほうが良いかもしれません。
お祈りメールをもらうことは、その企業が自分に合わないというだけかもしれませんので、自分に価値が無い、評価されていないと感じることは必ずしも正しい認識では無いことも考えられます。
多分選考官も一生懸命なので、正しい方法でしかるべき努力をしていれば、必ず自分に合うところが採用してくれると思いますよ!
ではでは~。
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