「教えられる」という行為の落とし穴

どうも、のさか(@breakconnect)です。

僕が人に何かを教えるときに心がけていることの1つとして、「できるだけ教えない」ということがあります。

「教える立場なのに「教えない」ってどういうことだ?」と思った読者さんもいらっしゃることでしょう。

もちろん教える立場にある以上、自分なりに懇切丁寧に分かりやすく教える努力はしますし、そうした努力は誰しもがするべきだと思います。

ただ、「教えられる」という行為には大きな落とし穴があるということも忘れてはいけないなぁと思うのです。

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「教えられる」という行為には、自分で答えを見つけ出す楽しさがない

まず最初にお話しておきたいのが、「教えられる」という行為には、自分で答えを見つけ出す楽しさがないということ。

これは、当然のことと言われれば当然のことですよね。答えや答えの導き方を教えられるわけですから、その後にやることといえば、その答えや答えの導き方の整合性を確かめる作業しかありません。

こうした整合性を確かめる作業はつまらなく、億劫なものですし、「答えを知っているのであればわざわざ確かめなくても良いのではないか?」とさえも思ってしまうものです。

それゆえ引き起こしてしまうことが、自分で答えを見つけ出す行為を蔑ろにしてしまう態度。

自分で答えを見つけ出す行為を蔑ろにしている事例

自分で答えを見つけ出すという行為を蔑ろにしてしまう事例としてよくあるのが、本やセミナーで知識を得ようとする「ノウハウコレクター」と呼ばれる人たちです。

本やセミナーは、先人たちがこれまで何年・何十年という人生の中で得た知識をたった数時間、数日で得られるものです。手っ取り早く知識を得ようとするのであれば、こうした手段は非常に有効なのは誰もが認めることでしょう。

ただ、本をたくさん読んだり、様々なセミナーに行く人がその知識を蓄えた分賢いのか・仕事ができるかどうかと言えば、実際はそうでもない場合はしばしばあります。

これは「教えられる」という行為に対して、彼・彼女らが正しく反応できていないからなんです。

つまり、その場で「なるほどなぁ!」と思うだけで満足し、実践の場で得た知識を使っていない(使おうとしていない)のです。

彼・彼女らは知識を得た段階で賢くなったと勘違いし、その知識の整合性を省みようとはしないため一向に成長しません。だからこそ、頭でっかちな「ノウハウコレクター」なわけです。

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自分で答えを見つけ出すこと

では、知識を得てもそうした「ノウハウコレクター」にならないためにはどうすれば良いのでしょうか?

答えは割と簡単で、自分で答えを見つけ出すことです。

僕自身、自分がこれまで勉強や仕事、生き方全般に関わることで何か進んだ、成長したと一番感じる瞬間は自分で答えを見つけ出せたときです。

誰かに教えてもらったり、本から新しい知識を得たときは、単に知識が増えただけで成長したとは全く感じません。なぜなら、そうして得た知識がそのまま実践で使えた試しがないからです(世間話的に、知識を話すという点においてはすぐに使えますが)。

もちろん、教えてもらった知識が実践で使える場面はあります。しかし、それは振り返ってみれば自然に使えるようになっていたとか、教えられたことを何度か実践の場で試してみて、その価値や重要性を自分なりに再定義して使ってることが多いのです。

例えるなら、使えるようになってはじめて「あぁ、これがあの時教わったことか(あの本に書いてあったことか)!」と思うようなもの。

こういう風に思うときこそ、はじめて自分で教えられた知識の価値や重要性を「実感」するのであって、ただ知識を「理解」している状態から抜けだした瞬間なわけです。

そして、これは自分で答えを見つけ出した瞬間でもあります。自分の生活レベルで教えられた知識を試していくことでようやく自分の中で整合性が得られ、納得のいく答えになるのです。

点が線となる瞬間

これまでお話したとおり、何かを教わる際に最も効果的な方法はやはり実際にやってみて、その苦労や楽しさを味わいながら、自分で答えを見つけ出すというものです。

だからこそ僕は教える際には、できるだけ教える時間を省いて実践の時間を多く作り、自分たちで答えを見つけ出してもらうように心掛けているのです。

一見、教える(教えられる)という行為は近道のようにも見えますが、実際は知識が増えただけでそれ故に頭でっかちな発想しかできなくなっている人も多く、逆に遠回りになってしまうこともあります。

教える立場にある人は相手が「理解」すらしていないのか、「理解」の段階で留まっているのか、「実感」の段階にいるのかを正確に捉え、どのくらい教えるのかを判断しなければなりません。

同時に教えられる立場にある人も「理解」の段階で甘んじず、どんどん自ら様々な行動を起こしていって「実感」を得ていく必要があります。

教えられたことがいつ自分の中で「実感」となるのかはわかりません。もしかしたら、何年も経ってもよくわからないままかも知れませんし、何十年経ってようやく「あぁ、これがあのとき教わったことか!」という瞬間が来るかもしれません。

こうした点が線となるような瞬間が訪れるから、自分で答えを見つけ出すのは楽しいものですし、その楽しみを失わないかぎりは成長していけるんだろうなぁと思っています。

今日はこれくらいで。ではでは~。

 

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