若者は安定なんか求めていない

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どうも、のさか(@breakconnect)です。

「安定的な収入と世間体を得たいから大企業に行く(公務員になる)」ということを就活をしている人からよく聞くのですが、実はこうした安定志向はただ単なる建前ではないかと思うことがあります。

だって、本当に安定したいのであれば、就職活動解禁よりも早い時期から企業研究や自己分析をしているはずですし、自分1人でも仕事を生み出せるようなスキルを身に付けているはず。

多くの若者がこうした行動を起こさないのは、彼らの価値基準に「安定」ではなく、「安心」が置かれているからなんです。

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若者が行動を起こさない4つの理由

そもそも、若者が行動を起こさない理由は大きく以下の4つに分けられるかなと思います。

1.世の中の状況を知らない

1つめは、世の中の状況(日本[自分たちが置かれている状況]がどれだけヤバイか)を知らないため、切迫感を抱くことがないという理由。

こちらの理由に対して、テレビを観ても、ネットを観ても連日いろんな情報が溢れているのに「知らない」というのは甚だおかしいだろう、と思う方もいるでしょう。

この場合の「知らない」は、遠国の戦争や難民に対して殆どの人が抱くこと、すなわち、「大変そうだけど、自分の生活には何ら関係がないや」という感覚と似ているんじゃないかと思います。「知っているけど、まぁ自分も周りの友達も普通に生活できてるし、大丈夫でしょ?」という他人事のような感覚ですね。

こうした感覚を卒業するには、(良い意味で)切迫感を抱かせてくれる環境がとても重要となるのですが、一般的な生活環境では、学校に閉じ込められてしまうので、切迫感に接触する機会はそうはありません。そもそも、学校の先生(公務員)が世の中のことを知らないことも多いし、例えいくら世の中の状況を説いてくれてても、リアリティがありません。

(だからといって、社会人教師なら大丈夫なのかと言われれば、必ずしもそうではありません。というのも、教師が変われど教える形式や内容はほとんど同じままで、子どもが自分自身で切迫感を抱くような機会作りができていないため。)

故に、若者は学校や家庭で教わる「勉強して良い大学に入れば大丈夫」「大企業に入れば(公務員になれば)大丈夫」を信じこまされ、自らで食べていくスキルを身につけようとは思わないのです。

2.自身の経験の無さと才能に気付いていない

2つ目は、最初に挙げた理由と関連するのですが、自身の経験の無さと才能に気付いていないということが理由となります。

経験の無さは、能力の無さという言葉にも置き換えられるかもしれません。自分自身の経験(能力)の無さを、正確に理解している人は若年層にはあまりいません。

むしろ有名大学にいる人ほど、自分のことを優秀(少なくとも、他の偏差値で劣る大学よりも秀でてる)と勘違いしている人が多く、それ故「普通に就活してればそれなりに内定もらえるでしょ!」と思って特段何かしらの行動を起こさない。

また逆に、自分自身にとても素晴らしい才能があるのにも関わらず、そのことに気付いていない人もとても多い印象。

その才能を磨き上げれば、それでご飯を食べていけると言っても過言ではないのに、「自分には才能がない」といって、思いつく限りの無難そうな道を選ぶ人はめちゃくちゃ多いです。

大学なんて4年以上もあるのだから、自分の才能に気付いている人はこの間にひたすら動き回っていますよ。

3.周囲の大多数が何もしていない

3つ目は、周囲の大多数が何もしていないなら、自分も何もしなくても大丈夫と思い込んでいるため。

周囲と同じことをしていれば、大きく道を逸れることはほとんどありませんし、なにより1人ではないという「安心感」があります。

だから、周囲が動き出したらそれに合わせて自分も動き出しますし、周囲が止まっているのに自分がまだ動いていればとても不安になってしまいます(周りが内定でているのに、自分は一向に内定がでない心理状況がこれ)。

そして、周囲の大多数が何もしていないから行動しないことの背景には、次に挙げる理由が大きく関わっています。

4.周囲の大多数と仲間はずれになりたくない

4つ目、周囲の大多数から仲間はずれになりたくないという理由。仮に世の中の状況や自分自身の能力の有無に気づいていたとしても、何かしらの行動を起こせば「意識高い系」と揶揄され、疎外されうることを知っているから。

僕らは子供の頃からイジメや差別を見てきて、周りと異なることをしていたり、異なるものがあったりすれば、仲間はずれにされることを知っています。

ストッキングを履いてきた男の子はオカマだと蔑まれ、不細工な女の子はブスだと罵られ、塾ばかり行って成績の良い子はガリ勉だと誂われる。まるで、みんな同じで平均的であることを美とするように。

こうした同調圧力の中で周りと違うことをするのは、とても勇気のいることです。大多数の人と苦楽を共有することはできませんし、いざとなったときに頼ることもできないので。

僕の友人には「意識高い」活動を大学の人には話さないようにしていた人すらも居ますし。

(そもそも、一般的に「意識高い系」と揶揄するのは、自分自身が何もしていないことに対する焦りがあるからなんです。これは就活の時期になれば、みんな同じようにインターンやらセミナーにしょっちゅう行くのに、それを「意識高い系」とは言わないこと見ればわかります。)

若者は安定ではなく、安心を求めている

では仮に、「大企業とか公務員なんてヤバイ。最悪でも優良中小企業行くべきだし、自分で起業するのが当たり前だよ。」みたいな思想が広く一般的になればどうでしょうか?

今度は大企業に行くや公務員になる人はその安定性がある程度顕在であっても、ほとんどが中小企業に行くか起業するふうになっていくはずです。

なぜそんなことを言えるのか?親や学校の先生がそう教えてくれるし、周りのみんながそうしているし、そうしないと仲間はずれにされてしまうからです。(更には、才能がそこで使えるのであれば、これ以上の理由はないでしょう。)

詰まるところ、「安定」という概念はただ単に普通であるための建前でしかなく、社会で広く受け入れられているものであるという「安心」が若者の価値基準になっているわけです。

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最後に

僕がこの文章を通して伝えたいことは、僕ら若者をはじめ、多くの人が主体性を失っているということです。

「親にそう教えられたから」「周りがそうしているから」というのはとてもありがちな言い訳で、これが許されるのであれば、「戦争万歳」みたいな思想も簡単に刷り込まされかねない。

これから先、情報伝達技術はより発達して今以上に様々な思想や価値観が広められるようになります。その中で、いかに主体性を失わずに自分で人生を選べるかといったことは、かなり重要なことなのです。

 

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