どうも、のさか(@breakconnect)です。
誰かが「こうだ!」と声を大にして言うと、また誰かが「いや、そうじゃないだろ!」と荒々しく言うことってよくありますよね。
少し前にメディア業界で話題になった、ネイティブ広告ハンドブックの一件とかまさにそうで、こういうの見るたびすんごい嫌な気分になります。
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どうして攻撃的なんだろう?
「建設的に丁寧に主張すればいいのに、どうして攻撃的なんだろう?」
これは随分前から思っていたことで、テレビを見ても、ネットを見ても相手をバカにするような姿勢や言葉遣いは数多くあります。
参照:正解・不正解を決めるのは思考停止。だけど、中庸に偏らず意見を持つ
いや、僕自身自分が攻撃的にならない人間だとは言うつもりは一切なくて、去年インターンしていたときも感情のまま色んなことをぶち撒けて、すごく迷惑をかけたなと今でも反省しています……。感情をコントロールできたり、自分を正確に俯瞰できるような人間ではないという自負ももちろんあります。
その反省と自負があるからこそ、僕よりも遥かに社会経験が豊富な「大人」の方に対して物申させていただきたく、こうして書いているわけですが、どうして攻撃的なんですか?
「ムカつく」は大事
「ムカつく」といった感情・感覚はすごく大事なものであり、それを押しつぶす必要なんてどこにもないと思います。
ただ、誰かにそれを伝える際にそのまま放り投げてしまうとバクダンみたいに爆発して、いっきに戦争みたいになっちゃうんじゃないかなと。
だからこそ、感情はそのままに自分の意見を丁寧に表現しようと心がけることは、すごく大切なんだと思うんです。
これは「少し誇張したり、煽ったりした方が読まれる」とか「向こうが先に攻撃してきたから」といったことは抜きして考えるべきことで、争いの土俵に上がった時点でもう負けているんです。
議論を生産性のあるものにしていくためにどうあるべきかっていうのが考えれば、どうすべきかっていうのは見えてくるはずだし、それもたぶん分かっていらっしゃると思うんです。大人の方なら。
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最後に
確かに、親切心で指摘しようとしてる人もいるんだろうけれど、指摘の仕方が大概攻撃的で、どっちが正しい以前の問題だなと。
ネイティブ広告の一件もいろいろ議論あったけれど、攻撃的なのが目について、議論の末「説得」できたとしても、「納得」できない、モヤモヤ感が残りそうだなぁと。
— のさかたくみ (@breakconnect) 2016年11月9日
異なる意見がぶつかり合うとき一番面倒なのは、客観的に見て明らかに片方が間違っているのに、それを認めようとしないことです。
認められないのに何か言い返すことができないから、論点のズレた批判や完全無視を決め込んだりしてしまう。その結果残るのは、ムカつきと積極的無関心だけ。
議論をする前提には、自らの意見が変わる可能性が必要です。その前提を無視するのであれば、最初から議論するべきじゃありません。
もし仮に、お互いの意見がどうしても曲げられないものであっても、議論が建設的なもので(相手の意見に寄り添おうという気持ちが)あれば、ある一定のところまで相手の意見に納得することはできると思うんです。「確かに〜な部分あるよね」って。
それは途方のない作業なのかもしれませんが、そうするほかお互いに納得できる選択肢はないと思うんですよね。
とりとめもない感じになっちゃいましたが、ぜひもう一度しっかり考えてみて議論していただければなぁと思います。
今日はこのへんで。
ではでは!
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