「君には解らないだろうね」とかいう身勝手な言葉

どうも、のさか(@breakconnect)です。

昔からずっと思ってきたことなんですが、さんざん自分の意見を言った後に付け足す「君には解らないだろうね」という言葉はとても身勝手だなと。

僕はこの言葉はある意味タブーだなと思っているんですよね。今回はその理由についてお話していきます。

自分が相手の理解しようとしていない

「君には解らないだろうね」がタブーな最大の理由は、自ら理解されることを拒む言葉だからです。

仮にあなたがその言葉をかけられたらどう思いますか? 「あぁ、この人は私と解り合おうとしていないんだな」ってなんだか突き放されたように思いませんか?

百歩譲ってこちら側が相手のことを理解していたとしても、相手がこちら側を理解しよう(解り合おう)としていないんだから、解り合えるはずもないですよね。

つまりこれは、自分が相手のことを理解しよう(解り合おう)としていないブーメランみたいな言葉なんです。

その言葉を使う人は相手への理解の諦めを示し、相手からの理解をも拒んでいるだけで、分かり合うための努力を何もしていないんですよ。

そもそも完璧に理解される方がおかしい

そもそも、自分のことを100%理解してもらえているなんてのはありえません。

他人が自分と全く同じ人生を送ってきて、全く同じように感じてきた可能性なんて限りなく0なんですから。

だからこそ、相手に理解されていない前提で、解ってもらえるように工夫・努力していく(相手のバックグラウンドを理解しようとし、相手の文脈に合わせて自分の意見を伝えようとする)ことが大事なんです。

にも関わらず、「君には解らないだろうね」と言ってしまう人の多くは、相手のバックグランドを無視して自分勝手な文脈で意見を伝えようとしているんですよね。それは理解されることもまぁ少ないでしょう。

なので、相手に理解してもらえるようにするためには「君には解らないだろうね」はタブーですし、そうした姿勢を改めなければいけません。

最後に

僕ら一人ひとりが持つバックグラウンド・思想(感性)は異なっていて、似たような物はあっても全く同じものはありません。

僕が「ミスチルは最高だ」と思っていても、他の人は「ミスチルの何がいいかわからない」と思っているものです。

だけど、「ミスチルの曲いくつか聞いてみたけど、まだ良さがわからないから教えてくれる?」というふうに理解しようとしてくれたら嬉しくなりませんか?

もちろん、僕がその後どんだけ良さを語ってみたり、おすすめの曲を教えたところで、解ってもらえない可能性は大いにありますよ。お互い歩み寄っていけば、100%理解し合えるなんてのは単なる夢物語でしょう。

しかし、そうして歩み寄っていかなければ、理解し合えることも一生ないんです。

今日はこの辺で、ではではー。

 

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