どうも、のさか(@breakconnect)です。
他人の価値観なんてものは、そう簡単に理解できるものじゃないですが、自分にとって他人の価値観が気持ち悪いかどうかは理解できるものではないでしょうか?
かくいう僕は、長年「なんだか、気持ち悪いなぁ」と思う価値観があります。
それは、ヒステリックな価値観を持つ人とハッピーな価値観を持つ人です。
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ヒステリックな人、ハッピーな人
「ヒステリックな人」というのは、他人(物事)に対して「かくあるべきだ」という理想を設定し、それに適わない対象を激しく批判する人を指します。
一方、「ハッピーな人」というのは、自らの幸福さを自分にも周囲にも言い聞かせ、幸せであるということをしきりに誇示する人を指します。
このどちらの価値観を持つ人に共通することとしては、彼らは自分たちが「人間」であるということを、からっきし忘れているということかなと。
彼らは「人間」を、たった2色の色鉛筆で構成されると思い込んでいる節があります。
「人間」を喪失するということ
「人間」というのは、「喜怒哀楽」という4種類の感情では説明できないほど複雑な生き物です。
ヒドく濁った誰にも見せられないような醜く歪んだ感情、驚くほど清々しく思わず誰かに分け与えたくなるような感情、なにがどうってわけでもないのにどうしようもなく空虚な感情、懐かしいような愛おしいような抱き締めたくなるような感情、嬉しいようで悲しいような笑いたいようで泣きたいような揺れる感情……
自分が今どんな感情なのか、喜怒哀楽の4色の色鉛筆では正確には描くことはほとんど不可能でしょう。それが「人間」というやつです。どれかが本当なんてのはなくて、どれもが本当なんです。
ですが、ヒステリックな人は「怒」と「哀」だけを、ハッピーな人は「喜」と「楽」だけを使って「人間」を表現(捉えようと)している嫌いがあります。
その結果、その「人間」像に当てはまらない他者(あるいは自分自身)に対して、「『人間』ってこういうものでしょ? こうあるべきじゃないの?」と押し付けがましくなってしまうんですよね。
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「このままじゃダメだ」より「もっと良くなりたい」
で、その押し付けがましさは時に暴力的で、不協和音のような気持ち悪さを感じさせてしまうもの。
「綺麗なものばかり見ていればいいや」っていう心理は、「汚いものを排除しよう」っていう心理と表裏一体だから、ある種暴力的。
「臭いものに蓋を! みんなで幸せの国へ行こうよ!」
みたいなハッピーな人は結局のところ現実逃避でなくて、騙し騙してやってる時点で幸せじゃないんじゃないかと。— のさかたくみ (@breakconnect) 2016年10月31日
「あなたはこうあるべきでしょ!? どうしてできないの!?」って、他人を責める心理には「私はちゃんとしているのに・・・!」という前置きと、
「あぁなんて私は不幸なんだ!」という後置きがあって、これも自己責任性がない点で暴力的。理想と違っていることなんて、当たり前なのにね。
— のさかたくみ (@breakconnect) 2016年10月31日
聖人君子のような理想の状態なんてのは、現実としてあり得ないことが多いわけで、固執しすぎると理想と現実の乖離に苦しくなってくるんです。
もちろん、理想を掲げること自体は悪いことではないのですが、その心持ちは「このままじゃダメだ!」ではなく、「もっと良くなりたい!」であった方が人としての受容性が高まるし、幸福なんじゃないかなぁと。
最後に
とまぁ、僕自身も押し付けがましい書き方をしてしまいましたが、内実的には「そうであってもいいし、そうじゃなくてもいい」という提案をしているだけなんです。
理想を追い求めてもいいし、追い求めなくてもいい。でも、どちらにしよ、わざわざ自分を騙したり、他者に強要したりする必要なんて無いんじゃないかと。
別に人間なんて完璧じゃなくて、できないことも多い。だからこそ、その現実も受け入れた上で理想に近づく努力をしていけばいいんじゃないかと。
参照:「現実を見ればキレイゴトだと分かる」じゃなくて「現実を視ないからキレイゴトのまま」なんだって!
「自分ヒステリックだなぁ、ハッピーだなぁ」と思う人は頭ごなしに否定したり抑圧するのではなく、ぜひ一度この価値観(考え方)を検討してみてください。
それでは今日はこの辺で、ではでは。
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