どうも、のさか(@breakconnect)です。
「このままの人生じゃダメでしょ! こっちのほうが絶対良いよ!」といった具合に、他人に対して「良い」人生を送らせようする使命感の強い人たちがいるのですが、それって余計なお世話だし、ありがた迷惑だなと思うことが多くあります。
というのも、そういう人たちって自分の思う「良さ」を押し付ける癖に、別に他人に良くなってもらおうとは本質的には思っていないことが多いからです。
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「何が幸せか?」なんて人それぞれ
“愛されること”や”自らの存在意義を感じること”などは、確かに普遍的な幸福かもしれませんが、価値観(生き方)としての幸福は絶対的なものではありません。
暖かい家族と美味しいご飯があれば幸せだという人がいれば、エキサイティングで変化の激しいものに身を捧げることが幸せだという人、苦しく辛いことでも他人の役に立てていることに幸せを感じる人だっています。
例にこの間、ヒッチハイクで乗せてもらったドライバーを挙げてみます。
彼は「自分はこういうやつだから、こういう仕事をしてこういう人生を送ろう」という価値観をもっていました。
僕は「もっと良い自分になろう!」ともがいている人なので、まぁ価値観としては真逆なんですが、凄く尊敬できるなぁと思ったんですよね。
何がというと、自分にとっての幸せをきちんと考えた上で生き方を選んでいたところです。彼は別に自分の可能性を諦めているわけではないんです。
「自分は自分。他人は他人」と、積極的に自分の人生を選択していただけで、そこに悲観性や劣等感はなかったんです。客観的見れば、つまらなさそうな生き方かもしれませんが、彼はその生き方に満足していて、幸せそうでした。
(余談ですが、僕がなぜそういう風に思えたのかと言うと、自分の人生を生きている人って、他人の生き方を否定しないからです。「自分はそういう風に生きたいと思わないけど、そういう生き方も凄くいいよね」と肯定してくれるからです。
他方、自分の人生を生きられていない人って、自分の生き方に不安になるから、自分とは違う生き方をしている人を否定してしまうんですよね。「自分はそういう風な生き方は一切良いと思わないし、考えられない!」って。
彼は前者で、僕の生き方に関しても賛同してくれました。)
中途半端な使命感は迷惑
とまぁ、人それぞれ幸せのカタチは異なるわけで、「自分はこれで幸せだったから、とにかくお前もやれ!」というのはあまりに傲慢じゃないかと。
さらに酷いので言えば、「え、今の人生ヤバくない? もっと自由に生きようよ!」と不安を煽るような物言いをする人たち。これってもはや悪魔だなと。
もっとも、イケハヤさんみたいに使命感を持って、煽るだけじゃなくてある程度の面倒を見てくれる人はいいんですけど、ただ煽るだけの中途半端な使命感を持つ人たちは、本当に無責任だなと思うんです。
そういう人たちって結局、自分の商材を売りたかったり、変に意識高いのに憧れているだけだったりして、他人のことなんてこれっぽっちも考えていないんですよね。
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最後に
こんなことを書いておきながらなんですが、「良い」人生を送らせようとする悪魔は、まさに昔の僕のことだったんです。
昔は、「もっと自由に生きるべきだ! サラリーマンなんて奴隷だ!」みたいな価値観を激しく他人に押し付けていたので、本当に軽率だったなぁと。
今は、「サラリーマンやりたいならやればいいし、嫌ならやめればいい。その人が良ければどっちでもいいじゃん」ってスタンスなので、ある程度受容できることができているかなぁと。
無責任な悪魔の尻尾が生えないよう、気をつけていきたいところです。
今日はこのへんで、ではでは!
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