どうも、のさか(@breakconnect)です。
大学の授業で発表する機会なんかがあると、「批判されたくない」「詰められたくない」という悲痛な叫びが聞こえてきます。
まぁそりゃできることなら一切批判されることなく、賞賛を受けるような発表をしたいですが、そうもいかないのが世の常。
どんなに完璧にしたつもりでも、思いもよらぬ角度から批判は飛んで来るものです。
となれば、僕らにできることは批判されないように祈ることではなく、批判と上手に付き合っていくことなんですよね。
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批判は新しい視点を与える
僕がこれまでで一番腑に落ちた批判に対する考え方は「批判は新しい『視点』を与えるもの」だということ。
批判は自分の意見にはまるで抜け落ちていた「視点」を加えてくれるものであって、自分の無能さを突きつける証拠ではありません。
特に僕なんかは日頃から情報を発信しているので、様々な批判を受けています。
「これは言わなくても分かるだろう」と思っていた箇所が他の人には分からないことや、「なるほどそんな意見もあるのか」という自分とは全く違った意見があることに驚かされることもしばしば。
具体例を出すと、少し前に書いた「今の学生は別に冷めていない。みんな熱中できる何かを探している。」という記事に以下のようなツイートがありました。
おいちょっと待て。大学教員は教師ではなく研究者。このことを忘れてはいないか? >>>こういう記事大好き>>>|今の学生は別に冷めていない。みんな熱中できる何かを探している。 https://t.co/2nkIsU9imp @breakconnectさんから
— Takuya.B@TCcloud (@TB_IQ) 2016年7月20日
このツイートをいただいたとき「あー!完全に抜け落ちてしまっていた!」とちょっと自分に悔しくなってしまいました笑
なので、すぐに「研究者としての大学教員」という視点を追記し、自分としても納得のできる記事に仕上げることができました。多謝。
ご視点いただきましたので、追記させていただきましたー!
ありがとうございます!https://t.co/jLQphnXVL6 https://t.co/Q3eGmnSeG8— のさかたくみ (@breakconnect) 2016年7月21日
最後に
情報を頻繁に発信するようになって感じるのは、一番辛いことは辛辣な批判を受けることよりも、公開した記事に反応が一切無いことだなと。
だから、賞賛であれ批判であれ、自分の意見に何かしらの反応があるということはとてもありがたいことなんですよね。
もちろん、最初はその批判に対して少しイラッと来ることもあります。特に謂れのない誹謗中傷は論外です。
ただ、それが建設的なものであれば、新しい視点を貰えたと思うとすぐに嬉しくなります。
仲良しこよしをやっていたら、賞賛ばかりで批判しにくいものですが、もっともっと批判していくべきだと思うんですよねぇ。
今日はこの辺で、ではでは。
※ここで言う批判とは、「人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。」
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