今の学生は別に冷めていない。みんな熱中できる何かを探している。

どうも、のさか(@breakconnect)です。

「近頃の学生は冷めている」といったイメージを持った人は多いかもしれません。僕も昔は「みんな冷めているなぁ」と思う1人でした。

でも、今はそうは思いません。周りの学生をちゃんと見ていれば、むしろ何かに熱中している人や熱中できる何かを探している人は多く感じます。

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面白い授業でスマホを触っている人は居ない

例えば、大学内での授業。

授業中にひたすらスマホを触って、出席カードだけ出して単位をもらう。

確かに、こうした状況は日本の大学では当たり前になっています。しかし、すべての授業においてスマホを触っているのかというとそうではないんです。

90分もの時間をスマホ一切触らず聴いていて、自ら手を上げて発表したり、授業後には教員に質問するための列ができたり……なんて風景も存在します。

むしろ、そういった面白い授業内では水を得た魚のように学生はイキイキとしています。

ゼミ生の主体性

僕が今所属しているゼミでも、同じように学生が主体的に学びを行っている風景はあります。

授業で意欲的に議論したり発表したりするのはもちろん、コミュニティスクール(近隣にある学童で授業を行うこと)に熱心に取り組んでいる人もいます。

留学するためのプログラムに参加する人も多いですし、派遣留学生との交流も盛んに行っている人もいます。

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学生は大学の授業に幻滅する

このように意欲的な学生は一定数いますし、そもそもを考えてみれば、学生なんて入学したての時はほとんどが意欲的なものです。

その意欲が削がれていく原因は2つしかなくて、1つは大学の授業がつまらないこと、もう1つが大学の授業より熱中できる何かを見つけられたこと。

(難しい内容を)分かりにくい表現を用いて、ダルそうにレジュメを読み上げるだけの授業と、分かりやすい表現を用いて、学生の興味を引くように工夫を凝らした授業、どっちが学生の意欲を引き出すかなんて、一目瞭然です。

殆どの学生が、大学の最初の授業(もちろん前者の方)でそのつまらなさに愕然としてしまうものです。

なのに、至らない教員は「今の学生は冷めている(学習意欲がない)」などと口にしてしまう。それは自分の無能さをひけらかすだけの言葉ともつゆ知らずに。

もう1つの原因に関しては、これはポジティブに捉えても良いかもしれないのですが、授業より熱中できる何かが見つかれば、大学なんてそっちのけで取り組むという当たり前の話です。

その熱中できる何かがサークルや部活動の人もいれば、ビジネスや旅行、アートの人もいます。彼らは彼らでそこに熱中しているので、別に冷めているわけではないです。

学生は熱中できる何かを探している

先に挙げた授業やゼミの活動に真剣に取り組む人を見て分かる通り、ほとんどの学生は本来は熱中して取り組める何かを探しているんです。

だけど、ほとんどの大学の授業はその意欲を削ぎとって燻らせてしまう。

もちろん、学生は「主体的に学ぶ生徒」という意味合いもある以上、僕ら一人ひとりが主体的に学んで行く必要があります。

ただ、だからといって、それが分かりにくい授業をすることの免罪符にはならないんですよね。それは単に教員側の怠慢でしかない。

なので、もし学生をやる気にさせたいのであれば、大学や教員は学生が熱中できるような何かを提供できるような存在でなければならないんです。

じゃなければ、自分で熱中できる何かを探せる優秀な学生ほどどんどん大学を離れていってしまうんです。

追記(2016/07/21)

大学教員は「研究者」というご視点をいただきました。

確かに、大学教員は学生に教える立場(教師)ではありますが、そもそもは研究をしている身分であり、ある程度の研究成果がなければ首を切られてしまうことでしょう。

リアルの場でも、ネット上でも大学教員の立場に関する議論はされておりますが、学校教育法第九十二条には両方の立場を併せ持つ立場として扱われているようです(ここにも解釈の違いがあるかもしれませんが)。

○6  教授は、専攻分野について、教育上、研究上又は実務上の特に優れた知識、能力及び実績を有する者であつて、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する。
○7  准教授は、専攻分野について、教育上、研究上又は実務上の優れた知識、能力及び実績を有する者であつて、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する。
○8  助教は、専攻分野について、教育上、研究上又は実務上の知識及び能力を有する者であつて、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する。
引用 – 学校教育法

問題はどちらを優先させるにしても、自己の責務を他の要因に転嫁するのかどうかかと。

その点で、「学生の意欲が無い」と嘆く教員は、教育者としてただ未熟なだけでありますし、逆に学生からの評価が高くとも、研究が進んでいない教員は研究者として未熟ということになります。

 

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