「最近どう?」とか「上手くやっているのか?」とかいう残酷な質問

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しばらく連絡をとらないでいる友人や先輩から、たまに「最近調子どう?」とか「元気している?」といった感じの連絡が来る、というのは誰もがよく遭遇する場面。

気が合う人は何故か分からないけど、ちょうど連絡しようと思っていたタイミングやなんかで連絡が来たりして、割とスピリチュアル的ななにかを感じてしまうのは僕だけでしょうか?

特に何を聴くでもなく、ただ単に相手が今なにしてんだろう?と気になって、連絡をくださるのは本当にありがたいことだなぁと毎回思う。

「最近どう?」の意図

しかし、なにか目的を持って連絡をいただくときは「最近どう?」という入りからきても「あ、なんかお願いごとかな?」と感づくというのも僕だけでしょうか?笑

そもそも、目的をもって連絡をする人は普段そこまで自分に肩入れしてくださる人でもない場合が大半なので、柄にもなく「最近どう?」と言えばそりゃ感づきもする。

別にお願いごとが悪いというわけではなく、お誘いや自分の力を借りたいと思って戴けることはとても嬉しいことで、ギブをする機会を与えてくださるというのも1つのコミュニケーションである。

「上手くやっているのか?」という質問

また、僕はいま1人で地元を出てきて東京に住んでいるので、1週間くらい経ったあと親から連絡が来て「そっちで上手くやっているのか?」と聴かれたりもする。それも第1声目に。

まぁ親なら子どもの心配をするのも当たり前であるし、これもどこか気恥ずかしく嬉しいことである。自分の心配をしてくれる人が居るだけでとても恵まれていて、幸せなことだ。

投げやりな質問ほど面倒で残酷なものはない

ただ、「最近どう?」とか「上手くやっているのか?」という質問は場合によっては面倒なものだし、残酷なものである。

便宜上、返し方がイエスかノーの2択ではないし、文章のやりとりであれば、「〜やってます!」「〜な感じです!」という別に文章で話すことじゃないことを書かなくちゃいけなくなる。

また、「上手くやっているのか?」はある意味脅迫的なところもあって使い方を選ばなきゃいけない言葉でもある。常に信頼ではなく、心配を表に出している親とその子にありがちなことだが、「上手くやっているのか?」という風に聴き出すと、特に上手くやれてない場合、子どもはとっさに嘘をついてしまう。

「上手くやってなきゃ心配させちゃう、怒られちゃう、やめろと言われてしまう」と思うから。

得てして案外理想的なのは、よくドラマで観る上京した娘がある日実家に返ってきたとき父親は娘の心情を察して、何も聞かず「ここにいていいんだからな。」とだけ言ってくるあの優しさではないだろうか。

話が少しそれ始めそうなので元に戻すと、そういったごく簡単でありきたりな質問は、受け手にとって投げやりな質問である。それさえ、言ってりゃ自分の目的は果たせるのだから。

そして、その投げやりな質問は受け手にとって困惑するものでもあれば、打ち明けようとした想いも砕く恐れのある残酷な質問にもなりうる。

ありきたりな言葉を使う前に

だから、自分がお願いごとをするときや相手の今を知りたいときに、もう少し上手く質問ができないかを考えたりもする。

「最近どう?」とかじゃなくて「この前○○だったけど、あれはあのあとどうなったの?」とかでもいいかもしれない。

「上手くやってるのか」とかじゃなく何も聞かずに察してやって「あぁ、この人には隠し事したって無駄だな」と思ってもらった方が大体において良いのだ。

 

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About のさか たくみ

1994年生まれ、大阪出身。同志社大学・教育文化学科卒。在学中にメディアの立ち上げや大学のサイト製作・入試制度の提言、デンマーク留学、休学インターンシップなどを経験。2018年4月に有限会社ノオト入社。「個の夢が否定されず、自分らしく活きられる世界」を。

1 thought on “「最近どう?」とか「上手くやっているのか?」とかいう残酷な質問

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