劣等感とか恨みとか負を原動力とする人は不幸だと思う。

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今日、自殺についての議論がテレビから流れてきて、それを見たシェアメイトが「ここで月◯万で頑張って生きてる人だっているのに死ぬなんて、失礼だ!」というなんか僕が凄い辛い人みたいなお言葉を戴きました、のさかです。

※普通に元気に生きてますし、インターン先の待遇はかなり良いです笑

そんな関係のない導入文はさておき、今回は劣等感について思うことがあったので、そのお話をします。

「うまく会話出来なくて・・・」「頭が悪くて・・・」「運動が苦手で・・・」「楽器が上手に出来なくて・・・」などなど。

一切の劣等感のないというようなスーパーマンはごくわずかで、人間はなにかしらの劣等感を抱えているもの。

劣等感の原因

僕もかなりの劣等感人間なので、「あれが出来ない、これが出来ない」と自分にないものばかり見つけては他人と比較して嫌な気分に傾く時も多々あります。

そんなときは、「こんなこと考えても意味ないしなぁ、これが俺だから仕方ないかぁ」と開き直ります。僕はスーパーマンではないのでそれしかできません笑

ただ、それ以上に「もっと良い自分になろう!」とか「今無いなら、今から身につけよう!」という気持ちも大きく持っています。足りないならこれから補えばいいだけですし、最悪足りなくても、他に僕はできることもいっぱいあるので落ち込まないようにしてます。

結局は劣等感というのは、その人がどこに焦点を置いて考えるかっていう問題です。どれだけ凄い能力を身につけても、出来ないことばかりが目についてしまっては、いつまでたっても劣等感は消えません。

負を原動力にすることは不幸だ

そして、なかには劣等感であったり恨みであったり負の要素を糧にして生きてるような人も多くいます。

よくテレビで紹介されるダイエットのきっかけがクラスメートから馬鹿にされたり、彼氏にひどいフラれ方したとかっていうのも恨みを糧にしている例ですね。僕の「昔辛い経験があったから、自分と同じ境遇の人達を救いたい」っていうのも割りとありがちな劣等感を原動力にしてる例です。

でもこれってめちゃくちゃ不幸ですよね。だって、要は劣等感に人生を奪われているってことだから。そこにやりたいからっていう気持ちは無くて、やらなきゃっていう使命感しかない。その仕事をしている時って多分辛そうだったり怖そうな顔しているはずです。

そんな人生ってどうですか?楽しいですかね?

だから、夢を持ってる人たちにありがちな、変に理由をつけて自分の夢を語るというのはあんまり好きじゃなかったりします。多分どっかしらで嘘であったり、自分でそう思い込みたい理由が出てくるものなので。

不幸にならない正しい夢の見方

夢なんてものは「やりたいからやる」でいいはずです。なんらかの正統な理由をつけて、聖人ぶるのって疲れるんですよ、本当。

僕も今掲げている自分の夢には列記とした理由はありますけど、「なぜ?なぜ?なぜ?」って訊かれ続けたら結局のところ「いや、やりたいからやるんだよ、なんか文句ある!?」って喧嘩腰で返します笑

誰かに好かれるための、誰かに認めてもらいたいだけの、自分を正当化したいだけの、そんな夢を見ていると自分が苦しむだけです。

「うっせぇ、やりたいからやってんだ!!外野がどうこう言うな!」って言いきれる夢を持ちましょう。それが出来ないのであれば夢なんて持たない方が良いです。どうしても夢を持ちたいなら、とりあえず、視野を広めることだけに徹すれば良いと思います。

 

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About のさか たくみ

1994年生まれ、大阪出身。同志社大学・教育文化学科卒。在学中にメディアの立ち上げや大学のサイト製作・入試制度の提言、デンマーク留学、休学インターンシップなどを経験。2018年4月に有限会社ノオト入社。「個の夢が否定されず、自分らしく活きられる世界」を。