無責任な人助けにならないように気を付けたいこと

どうも、のさか(@breakconnect)です。

少し前まで週刊少年ジャンプで連載していた「SKET DANCE」という漫画。これを今更になって読んでいるのですが、本当に良い漫画だなぁと思うんです。

特にグッと来たのが、主人公である藤崎祐介(ボッスン)が「キミの人助けとは何だ?」と聞かれた際に答えた台詞。

理解者になる事
乗り越える事は変わる事じゃなくていい
その人が今いる位置を認めて
愛しいと思えるように
背中を押す事

−32巻 第285話『ラストダンス』より

どうですか?グッと来ましたか?全体のストーリーを知っているとなおグッと来ると思います!

僕はこの台詞を見たとき、胸きゅんみたいな感覚を久々に思い出しました笑

ただ、胸きゅんと同時に思ったこともあって、それは「僕らは案外、無責任な人助けをしていないか?」ということです。

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無責任な人助け

「人助け」を少し明確にすると「ある人の困っていること(問題)を解決する」と定義できるかと思います。

この際、「解決する」の定義は一般的には「無くす(消す)」と考える方が多いのですが、これってある意味無責任だなぁと。

例えば、人見知りに悩んでいて、それを解決したいという方がいるとしますね。

「解決する」=「無くす(消す)」と考えている人は恐らく、この人の相談に対して「会話術を学ぼう」といったアドバイス(改善点の指摘)をしたり、人と強制的に話さないといけない場を設けたりをします。

なぜなら、人見知りの要素となっているものを無くせば解決されると思っているからです。「会話を学べば、人見知りは無くなる」、「無理矢理話しまくって慣れれば、人見知りは消える」と考えているからです。

しかし、これってものすごく対症療法的で、その人の問題の本質(どうして人見知りになったのか、人見知りの何が辛いのか、人見知りってそもそも解決されるべきものなのかなど)に寄り添おうとする姿勢は一切無いんですよ。

そして、そうした人助けのせいで、根本的な原因が解決されないまま、提示される色んな解決手段を試しては止めを繰り返している人が増えているような気もするんです。

相談されている側もアドバイスしたり、場を設けたりしているのはラクだから(ちゃんと解決しようとしている風に見えるから)この姿勢を改めようともしません。

その結果、「解決する」=「無くす(消す)」と考えている人助けは、対症療法的なアプローチで解決されるものに関しては問題無いのですが、そうではない場合、無責任にな対応になることが多いのです。

理解し、背中を押すこと

だから、藤崎祐介(ボッスン)が言うように「理解者になること」、つまり、「解決する」=「理解する(受け入れる・寄り添う)」と考えることが重要となるわけです。

先ほどの人見知りの話で言えば、ある人がそもそも人見知り自体を悪く考えすぎていることを理解すれば、人見知りに対する拒絶を無くしていくといったアプローチが考えられます。

そうすれば、「人見知りだろうと君は充分魅力的だし、それでもいいと思うよ。」という相手のダメな側面を含めた存在を受け入れる発言もできるようになります(こういった発言はよく「効く」)。

そして、自分自身が人見知りをさほどネガティブに思わなくなれば、そもそも人見知りを解決する必要なんて無いかもしれないわけです。

なぜなら、大抵の場合において問題が解決されるのは、その問題を消す手段を実行できたときではなく、その問題が気にならなくなった(受け入れた)ときだから。

これは人見知りの解決のほんの一例ですが、それこそ、その人自身が変わる必要性なんてなくて、その人自身が自分のことや自分の立ち位置をしっかり認めて、愛せるようになることが重要な場合はよくあります。

この場合、人助けをする側はその人がそうなれるようしっかり理解し、そっと背中を押すだけで大丈夫なんですよ。

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最後に

大人になり「人助け」をする立場になることが多くなったのですが、「ちゃんと人助けをできているなぁ」と思うことは多くはありません。

相手の問題や相手自身にちゃんと寄り添って理解しようと務めているのですが、ちゃんと理解するのはやはりまだまだ難しい。

対症療法的なアプローチも根本療法的なアプローチもどちらも重要なのですが、大事なのはどちらをどの割合で使うか、もしくは使わなくていいかを見極めることだと思います。

ではでは~

 

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