子どもになれない大人たちへ

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僕ら大人は子どもの頃のように、遊びを楽しめなくなった。

遊んでいても、どこか後ろめたさを感じてしまう。

それは遊びが、楽しいことが現実逃避のようなものになったからだ。

朝早く起きる、1日3食バランス良くご飯を食べる、定期的に運動をする、英語を話せるようになる、プログラミングを学ぶ、モテるためのコツを知る……

そんなやるべきことばかりが頭をちらつき、遊びがままならなくなっている。

僕らにはそうした絶えない欲求があるから、遊んでいても虚しさが増すだけなのだ。

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一方、子どもはどうだろう?

厳しい家庭に生まれたのなら愛を受けるために、貧しい家庭に生まれたのなら食べていくために、やるべきことはあったかもしれない。

でも、そうじゃない大半の子どもにはやるべきことはない。あったとしても、子どもはそれを”やるべきこと”だとは認識していない。

だから、純粋に遊びが楽しめる。

1日中テレビゲームをやっていたり、カードゲームをしたり、トイレットペーパーの芯やティッシュ箱でロボットを作ったり、お菓子をボリボリ食べていたり、捕ったカエルを天に向けて投げつけたり……なんてことをしても、後ろめたさを感じないのだ。

僕らはそんな子どもを羨ましく思い、どうしようもなく憧れる。ときどき、「子どもになりたい」とため息まじりに口にしてみたりする。

だけど、多分それは子どもになりたいんじゃなくて、絶えない欲求から逃れたいだけなんだと思う。やるべきことをぜんぶ忘れて、早く楽になりたいだけ。

僕らがお酒の力を借りようとするのも、きっとそのせいだ。

少しの間だけでも、やるべきことを全て忘れるため、飲んで飲んで飲んで……

次の日の朝、目が覚めると頭痛と吐き気と、虚しさに押しつぶされるのは目に見えているのに。

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たくさん虚しく遊んで、たくさんお酒を飲んで、たくさんたくさん現実逃避した末、”やっぱり”気付かされる。

自分がいま、何をやるべきかを。

本当はやるべきことなんて必要無いかもしれないのに、いま以上を求めている僕らにはそれしか見えない。

ゆえに、やるべきことをやらないと子どもになれないのだ。

絶えない欲求を全部満たしてやるほか、僕らから後ろめたさが消えることはない。楽しいはずの遊びを、楽しむことができない。

そして、「絶えない欲求を満たし続ける」という大きな矛盾に、僕らはどこまでも消耗するのだろう。

どこまでも、どこまでも。

 

それじゃあいけないから、ときどき自分を褒めてみたり労ってみたりしてみてさ、いまに満足することも覚えなきゃいけない。

足るを知ることは、決して悪いことではない。

悪いのは、そのバランスが取れていないことなのだ。

 

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