どうも、のさか(@breakconnect)です。
ここ最近、マンガや小説の中心人物として「変人女子」と「淡白男子」が描かれることが多いですよね。
『涼宮ハルヒの憂鬱』の涼宮ハルヒとキョンや『めだかボックス』の黒神めだかと人吉善吉、『君の膵臓を食べたい』の山内桜良と僕……といった具合に。
変人女子は大体において文武両道、容姿端麗とハイスペック。でもそのくせ、わがままで自己主張が激しく、周囲の人(とりわけ、淡白男子)を無邪気に振り回していく。
一方、淡白男子はなすがままに流され、変人女子におかしな言動に抵抗するようにもっともなツッコミをいれるも、すぐ押し切られてしまう。
この真反対な2人の関わりによって作られるのは、「非日常な日常」であり、僕らはこうした物語の中で非日常性を自己に投影しているのかもしれません。
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淡白男子が守りたかった日常
物語の中盤くらいまで、淡白男子は誰にも振り回されることのない自由で穏やかな日常を守りたいと思っています。
彼からすれば変人女子との関わりはその日常を脅かすもので、非日常とでも呼べるようなものです。当然のごとくその脅威にささやかな抵抗は何度となくしています。
しかし、彼女との関わり続けているうちに、ふとそんな非日常を愛おしく思い始めるのです。
それはほんの気の迷いで生じたささやかな感情かもしれません。日常が戻れば、すぐにそんな感情は消えてしまうのかもしれません。
それでも、『涼宮ハルヒの消失』でキョンが平穏な今の世界(日常)ではなく、不穏な元の世界(非日常)を選んだように、その非日常は淡白男子である彼にとっても確かな「日常」だったわけです。
僕らは正反対に惹かれる
最初にお話した「僕らは物語の中に非日常性を自己に投影している」というのは、僕らが非日常性を求めていると言い換えられます。
キョンが非日常を選んだように、僕らもまた非日常が起きないかと日常を観察しながら過ごしています。
だからこそ、変人女子と淡白男子の関係が成り立つのです。彼・彼女らは正反対で互いに非日常性を持ってくる存在なので。
もちろんこれは、漫画や小説だけでなく現実世界でも起こりえる関係性です。
面白いのは考え方や行動は正反対だとしても、彼彼女らはどこか根底(それこそ、互いに非日常を求めるという点)では、全く同じ感覚を持っているものなんです。
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最後に
人間関係には、「類は友を呼ぶ」というふうに基本的には同じタイプと関わることと「磁石のS極とN極」のように正反対のタイプとがあると思います。
僕の経験上、前者はその場限りの付き合いになることが多く、後者は立場や住む場所が変わったとしてもずっと付き合っていくことが多い。
恐らくそれは一方が振り回されているとは言え、その関係には間違いなく対等さがあるからです。
参照:いつも共感してくれて励ましてくれるのが友達なら、僕は要らない
逆に言えば、同じタイプの人間でもお互いがお互いに敬意を払う対等さがあれば、ずっと付き合っていくはずです。
ただ、同じタイプの人間同士では、対等さというよりはむしろ「同じことをやっている」というふうにしか思えないんじゃないかなぁと。
それでは今日はこの辺で、ではでは。
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