いつも共感してくれて励ましてくれるのが友達なら、僕は要らない

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どうも、のさか(@breakconnect)です。

最近思うのですが、いつも共感してくれて励ましてくれるのが友達なら、僕は要らないなぁと。

確かに、いつも共感し励ましてくれるのは気持ちいいものですし、心強いような気もします。

ただ、そういった安易な関係に頼って(依存して)ばかりいると、良くないことも多くあります。

今回は友達関係についてのお話です。

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友達関係において一番重要なのは「対等さ」

そもそも、友達関係において一番重要なのは「対等さ」だと僕は考えています。

同じ目線に立って、互いの気持ちに寄り添って、互いが互いのことを認め合っている関係。それがたとえ、片一方が大金持ちで、もう一方がホームレスだったとしても、お互いが尊敬しあっている部分があるのであれば、対等な関係だと言えます。

しかし、先ほど挙げたようないつも共感し、励ましてくれる関係にはその「対等さ」がないのです。

なぜなら、対等な関係であるならば、いつもは共感しないはずだから。良いと思ったときは全力で讃え励まし、間違っていると思ったときには全力で指摘・批判して止めてくれるはずだから。

だから、いつも共感してくれて励ましてくれる友達は僕は要らないのです(そもそも、自分の言っていることばかりに付き従うような友達が、いざ自分が困ったときに協力してくれるとは到底思えません)。

喧嘩や仲違いはしても良い

もちろん、相手が間違っていかどうかなんて、個人の正邪の基準でしか決めれないような場合もたくさんあります。

それゆえ、批判や指摘をするという行為には、喧嘩や仲違いに発展しやすいというリスクが内在します。

ただ、本当に互いを認め合っているのであれば、その軋轢はすぐに無くなるものです。というのも、本来そうした指摘・批判は相手を傷つけたくてやっているのでなく、相手を想ってやっているのものだから。

なので、僕は喧嘩や仲違いは全然あっても良いことだと思います。もし、喧嘩したっきりずっと仲違いしたままということでしたら、所詮その程度の関係だったってだけですし。

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最後に

いつも共感してくれて励ましてくれる存在の一番厄介なところは、間違っていてもそれに気づきにくくさせてしまうことなんです。

それは、「お前、間違っているよ。」と言ってくれる存在が少しでもいてくれるだけで、全然変わってきます。

だから、いつもは共感してくれなくていい、励ましくれなくてもいい。だけど、「対等」だと認めてくれる。そんな関係を築ける友達が僕らには必要なんです。

ではでは〜。

 

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About のさか たくみ

1994年生まれ、大阪出身。同志社大学・教育文化学科卒。在学中にメディアの立ち上げや大学のサイト製作・入試制度の提言、デンマーク留学、休学インターンシップなどを経験。2018年4月に有限会社ノオト入社。「個の夢が否定されず、自分らしく活きられる世界」を。