熱狂的なファンを多く持つと、善悪の判断が付きにくくなる

どうも、のさか(@breakconnect)です。

ファンが沢山いる人を見ていると、「あぁ、これは危険だなぁ」と思うことがたまにあります。

それは、ファンがなんでもかんでも肯定してしまうせいで、否定的な視点が入ってこなくなってしまう恐れがあるから。

否定的な視点が入ってこなくなった結果、自分たちが正しいと勘違いしてしまう可能性が高くなるから。

今回はファンになること、ファンが居ることの危険性についてのお話です。

信者的なファンになること

そもそもファンというのはどんなものか、辞書的な意味からみていきましょう。

スポーツや芸能、また選手・チーム・芸能人などの、熱心な支持者や愛好者。ひいき。
[補説]fanatic(熱狂者)の短縮形。
引用 – goo国語辞書

つまりファンというのは、「特定の対象への熱心な支持者や愛好家」のことを指します。

このファンというのが辞書的な意味の通りに、単に熱心な支持者や愛好家であるときは全く危険性はありません。が、それが熱狂的なもの、まるで「信者」とも言えそうな状態であるときはとても危険なんです。

というのは、ある特定の信者になることで、その対象以外のものやその信仰度が低い者に対する攻撃性が増すものだから。

例えば、宗教論争や古参のファンが新参のファンを「ニワカのくせに!」と批判することはまさにその攻撃性の現れだと言えるでしょう。

参照:「好き」の程度とか気にすると、なんにも好きになれなくなる

信者的ファンを多く持つこと

そして、そうした信者的なファンを多く持つアーティストやアスリート、チームは自分(たち)のやることなすことを全肯定されてしまいます。

その結果、否定的な意見が入ってきにくくなり、どんなことであれ自分(たち)が正しいと勘違いし、善悪の判断が付きにくくなってしまうのです。

史実を遡ればそうした事例はいくつも有ると思うのですが、最近で言えばブッシュ政権のイラク攻撃が記憶に新しいんじゃないでしょうか。あれって、アメリカ内では結構賞賛を受けているわけですが、客観性を持って見ていれば、多分間違ったことなんですよね。

こうした過ちを避けるために、自分(たち)への批判にもある程度耳を傾け、自分(たち)の現在地や方向性を随時知っていく必要があるわけです。

そもそも、批判的な意見の方が正しいことが多かったりもしますからね。

最後に

もちろん、僕はファンであることを否定するわけでも、ファンが居る人に嫉妬しているわけでもありません。僕自身もミスチルファンですし、ファンが多く居ることは人を引き付けられる何かがあるということなので、とても良いこと。

ただ、だからこそ、ファンであることやファンが居ることの弊害をしっかり理解し、自分(たち)を客観的に視ていく努力をしていく。そうすることで、無意味な攻撃性を持たなくなるようになるはず。

これはネット社会になり、ますます個人の影響力が強くなってきた時代だからこそ、気を付けたいことです。

今日はこの辺で、ではではー。

 

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