「自分を変える」とは、演技すること

どうも、のさか(@breakconnect)です。

最近やっぱりそうじゃないかなぁと思い始めているのですが、「自分を変える」とは、演技するということじゃないかなと。

僕はプロフィールにも書いてある通り、コンプレックスの多い人間なので、「自分を変えたい!」とずっと藻掻いてきました。

その甲斐あって、これまでたくさんの変化を実感してきたのですが、どうもその節目節目には、先に書いた「演技」というのが共通して存在しているみたいなんですよね。

これまでの自分ではできなかったことができるとき、いつも演技をしていた

例えば、大学1年生のときにやっていたアパレルのアルバイト。人と喋るのが苦手だったので、あえて人と喋らなきゃいけない接客業をやっていたのですが、始めて3ヶ月くらいは毎日のように怒られていました。

参照:管理職は単なる「小言のうるさい姑」になってはいけない

しばらくして、僕は主力メンバーとして働けるまで成長し、苦手な接客も難なくこなすようになったのですが、これは出勤時だけの話であって、日常生活では相変わらず人と喋るのは苦手でした。

要は出勤のたびに何らかのスイッチが入って、「人と喋るのに慣れている人」になっていたんです。もちろんこれは、意識してそういう人を演じていました。

最初は、ハッタリだったのですが、次第にそれが本来の自分っぽくなるんですよね。というよりか、演技している自分に見合う行動をしていく様になるんです。

他にも、去年インターンしていたときに「編集長」を演じていたら(実際肩書としてはそうだったのですが)、編集長っぽい動きができるようになったとか。

こんな感じで、これまでの自分ではできなかったことができるようになるとき、いつも演技が先にあったなぁとふと気付いたんです。

演技する感覚

だから、「自分を変える」というのは、演技することじゃないかなぁと思ったわけです。

自分の脳を理想とする状態に錯覚させると、必然的に行動がそれに相応しいものになり、徐々に変化していくんじゃないかと。

もちろんこれは、「自分に嘘をついている」とか、「相手を騙している」といった罪悪感を抱くものではありません。上手く表現できないのですが、強いて言うのであれば「こういう自分はカッコイイ」というナルシズムに近いものかなと。

また、演技するイメージとしてはこれまでの自分を、上から新しい自分に塗り替えていく感覚で、自分を変化させよう(比喩的に言うと、違う色を混ぜて理想の色に近づけよう)とかではありません。

この感覚を上手に使うことができれば、「自分を変える」というのはある程度コントロールできるものになるんじゃないかなぁと思うんです。

(だからこそ、演技を習うのって結構良いと思うんですよね。演技する感覚が掴みやすくなりそう!)

最後に

ただ1つ反論として思うのは、演技してても自分の根本となる性質は変えられないということ。

僕らはどうしても幼少期の影響を受けてしまうので、親に愛されず育ってきた人やイジメられてきた人は承認欲求が高かったり、他人の目を気にしがちだったり、という性質を持ってしまうんです。

こうした自分の根本に関わる性質は偽ることやある程度軽減することはできても、変えることはまぁ不可能だと思います。

したがって、変えられない性質と上手く付き合いつつ、変えられるものに目を向けて理想の自分に近づけていくというのが大切だなぁと。

それでは、本日はこのへんで。

ではでは!

 

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