どうも、のさか(@breakconnect)です。
2045年には、AI(人工知能)が人間の知能を超えると言われているほど、現在AIの開発は目覚ましく行われています。
最近でも法律のアドバイスをAIに受けるというニュースを受けて、弁護士という職が失くなってしまう可能性も浮上してくるほど。
参照:人工知能の「弁護士アシスタント」生まれる コスト削減される分野は・・・
そもそも、僕らは今もAI的なものを利用しています。Googleなんかがまさにそうで、検索を通して、一定基準の答えを手軽に得ることができますよね。
このように僕らはなにかしらの答えをAIやGoogleに教えてもらっていくわけですが、であれば僕らは答えを見つけるために何かを学ぶ必要は有るのでしょうか?
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答えのある課題
結論から申し上げると、この問いに関する僕の答えは「学ぶ必要はある」です。
恐らく、法律や会計、薬剤関係といった資格系のもの、もっと言えば、答えのある課題に関わるものは確実にAIの仕事になるでしょう。だったら、こうした資格を学んでも将来社会で役立たないから、学ぶ必要は無くなるかもしれません。
しかしだからといって、「AIだけで裁判ができるのか?」といえばそうではないでしょう。例えば、AIにその問題の入力方法(言葉の選び方・入れる要素)やAIを通して得られた答えに対する解釈の仕方などは弁護士的な知識を持った人がいなければなんだか不安ですよね。
このようにAIの仕事はAIだけでは完結しないことがありえますので、答えがハッキリと出る課題であっても学ぶ必要はあるわけです。
ただ、これは大部分の業務をAIが負担してくれることになるので、職としての需要は確実に減っていくのは間違いありませんが。
答えのない課題はAIだけでは進まない
では、答えのない課題ー「人が生きる目的」や「幸せになる方法」などーはどうでしょう?
もちろんこれも、AIでそうした課題を入力すれば、いろんな立場を考慮したある一定の答えは出てくるはず。ですが、それはあくまで合理に基づいた答えであって、必ずしもそれが正しいとは限りません。
もっと言えば、それは理解はできることであっても、納得はできるものではないのかもしれません(これは他人に「こうすれば人生上手くいく」と言われても、いまいち気乗りしない感覚と同じ)。
だから、答えのない課題を自分たちでしっかりと議論するために僕らは様々なことを(それこそ、中等教育で学ぶようなことですらも)学ぶ必要があるわけです。基盤となる知識が無ければ、議論はできませんので。
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最後に
詰まるところ僕らが学ぶ理由は、正確な議論と判断をするためなんだと思います。
それは例え、脳内に直接知識をインストールしてくれるような技術ができたとしても、その学びの背景や解釈、その強度などは人それぞれ異なるために必要なことでしょう(逆に言えば、全部インストールしていたら、みんなが大体同じようなことを言うようになってしまう)。
もちろん、AIの発展によって教育の内容や方法は変わっていくはずですが、人の学びに対する好奇心は止められない。だから、学びはその必要性もあれば、無くなる余地も無いんだと思います。
それでは今日はこの辺で、ではではー。
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