朝礼ってやる意味あるの?

どうも、のさか(@breakconnect)です。

突然ですが、校長先生の朝礼スピーチの内容を覚えていますか? 小学校でも中学校でも、なんなら高校でもOKです。

多分何かしらのスピーチを覚えている人もいると思うのですが、具体的にはほとんど思い出せないという人が多いんじゃないんでしょうか?

「これは気をつけろ、あれはするな」という叱咤や、なんとなく良いことを言おうとした「ありがたい話」。朝礼といえば、こうしたことを淡々と聞かされるイメージがあります。

だから、多くの学校や会社で朝礼を実施しているみたいですが、それって本当にやる意味あるのかなぁって疑問に思うんですよね。

朝礼の目的

そもそも朝礼をやる目的はなんでしょうか?

多くの場合、その目的は「教育」にあるはずです。生徒や社員をやる気にさせること、気を引き締めてやることです。

他には、有用な情報を共有や補足すること、コミュニケーションをとることも目的としてあるでしょう。

これらの目的を達成するために叱咤激励したり、声出しをしたり、スピーチをしたりしていわけです。

朝礼の腐敗

では、こうした朝礼の目的は達成されているのでしょうか?

情報共有やコミュニケーションを目的とした朝礼ならともかく、「教育」を目的とした朝礼ではそうではないでしょう。

最初にお話したとおり、朝礼はこちらの意思とは無関係に淡々と聞かされるものだからです。

新聞やネットで見かけた「いい話」や「訓示」を得意げに話されても、「昨日こんなクレームが入りました、先日こんな事件が発生しました」とグチグチねちっこく注意されても、こっちはまるで興味がないんですよ。

そんなこともつゆ知らず、よくもまぁ朝礼のネタを次から次へと出してきますが、朝礼のネタ探しなんかをしている時点で朝礼自体が目的化しているわけです。

要は、朝礼が形式だけ残して腐敗しているんです。

効果的な朝礼とは

では、教育面において効果的な朝礼とはどういったものになるのでしょうか?

結論から言うと、聞かせる系の朝礼要らないんじゃないかなぁと……

スピーチの名手ならまだしも、上手でも下手でもない人が「ああだこうだ」と話してても、響かないと思うんですよ、現実問題として。

当然話せることは、先に挙げた「ありがたい話」や「ねちっこい話」だけに限られてしまうわけですから、こうなると口うるさい姑になってしまいます。

参照:管理職は単なる「小言のうるさい姑」になってはいけない

ここを脱するには、「朝礼」という形式を抜けださなきゃいけません。つまりは、上の立場にある人が一方的に話すんじゃなくて、下の立場の人が主導しなければなりません。

「世界一の朝礼」と謳われる居酒屋『てっぺん』の朝礼なんかもそうで、下の立場にある人がやっぱりスピーチしています。

普通の学校や企業でここまで元気でやる必要は無いかもしれませんが、現状よくある朝礼はただ右から左へと流れていくだけなんです。だから、朝礼は要らない。

気を引き締めたりやる気にさせたいのであれば、叱咤激励を聞かせるんじゃなくて、自分の目標や理想を話してもらう、コミュニケーションを取り合う。それが結果として教育的に意味がある行為になる。そう思うんですよね。

最後に

まぁ、僕は朝礼のある企業では働きたくないなぁと。あの強制されている感があんまり好きじゃないんです。

多分僕がその朝礼の本質を理解しその効果を実感できるのであれば、そうした強制されている感はなくなるんでしょうけど、なかなかむずかしいなぁと。

朝礼はその本質を指導者が理解しているだけでなく、指導を受けている側も理解して(最悪でもその効果をなんとなしに感じ取って)なきゃいけません。

これができている朝礼に今まで遭遇したことがないので、多分朝礼自体合わない人なんじゃないかなと。

そういう人も一定数いると思うので、朝礼ってやる意味がないと思っちゃうんですよね。最初良くても、どうしても形式だけなぞってしまう行為になりがちですし。

まとまりが悪いのですが、今日はこの辺で。

ではでは。

 

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