どうも、のさか(@breakconnect)です。
今日Twitter上で、『嫌われる勇気』の著者でお馴染みの古賀史健さんのnoteが話題になっていました。
「ばか」とはなにか。
それは「ばれること」である。隠しおおせていたつもりのなにかがばれたとき、ひとは「ばか」の烙印を押される。
(中略)
じゃあ、おのれの「ばか」は、どういうときに「ばれる」のか。
これはもう、「かしこぶったとき」である。かしこぶって聞きかじりの浅知恵を披瀝したとき、偉ぶってわかったような口をきいたとき、その底の浅さは見事に「ばれる」。
僕自身ここ最近、嫌というほど思い知らされてきたことで耳が痛いのですが、本当にその通りだなぁと。
偉ぶって知識ひけらかしても、ロクなことがないんです。今回はその理由についてお話していこうと思います。
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知識をひけらかしてもロクなことがない3つの理由
1.情報量が増えて分かりづらくなるから
ある事柄について議論していく中で最も重要となるのは、主張と理由の明確(簡潔)さです。
どんなに正しい主張であっても、理由がダラダラ長くなってしまうと「んで、結局何が言いたいの?」という風に思われてしまうもの。
もちろん、その主張(と理由)を更に強める情報はあるに越したことはないのですが、情報量が無駄に多くなってしまうと、主張(と理由)がぼんやりしてしまいがち。
なので、僕らは必要最低限の情報を出して、主張と理由が明確になるようにしなければならないんです。
2.知識をひけらかすことが目的化し、論点がズレてしまうから
自分が何かしらの知識を持っていると、大半の人はそれを誇示したくなるものです。
しかし、そうして知識をひけらかしているうちに気持ち良くなっちゃって、議論していることの論点からズレてしまうことが多くあります。
間違っても議論の目的を、知識をひけらかす(賢く見られる)ことに置いてはいけないのです。
3.自分の「ばか」がバレてしまうから
そもそもなぜ知識をひけらかしたくなるのかといえば、他人に認められたいからなんです。他人に賢く見られたい、バカにされたくない……と。
だからこそ、つい余計なことやまだちゃんと理解していないことまで語ろうとしてしまうのですが、ここで語ることは先に上げたように分かりづらくなったり、論点がズレてしまったり、付け焼き刃のものだったりするのです。
残念ながら? そういうことはある程度頭の回る人に感付かれ、たちまちバレてしまい、自分の勉強不足や配慮の無さが露呈してしまうものだったりするんですよね。
最後に
以上の理由から、偉ぶって知識をひけらかしてもロクないことがないのです。
僕らが「ばか」にならないためには、古賀さんが仰ることを実践していくしかないなぁと常々思います。
かしこぶることなく、おのれの「ばか」を認め、上にも立たず、へりくだることもせず、自分に語れる範囲のことばで語り、自分に語れる範囲のことばを増やしていくことだ。
これって頭では理解していても、ついついやってしまうものなので、何度も自分の「ばか」を思い知りながら、徐々に姿勢として身につけていくしか無いのかもしれません。
それでは今日はこの辺で、ではではー。
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