泥臭くて格好いい、プレイヤーで在り続けること

どうも、のさか(@breakconnect)です。

この間、大学の友人と話をしていたとき「やっぱりな、普段から女の子と喋らないとあかんで! いざというとき女の子と喋られへんくなるからな!」と言っていて、その通りだなぁと思いました。

僕らは普段から行動していないと、いざというとき行動できなくなるものだなぁと。

だからこそ、格好つけるのを止め、「プレイヤー」として、泥臭く目の前のことに取り組み続けることって凄く大事なんですよね。

今回は、そんな普段の在り方についての話です。

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ほとんどの人は格好良くなれない

普段は涼しい顔していて、努力なんか全然していない風に見えるのに、いざ何かをやらしてみたら卒なくこなす人。こういう人って格好良くて憧れてしまいますよね。

しかし残念ながら、僕らのほとんどはそんな格好良いことはできないんです。

ちゃんと人の話を聴いて、しっかり自分で調べて、ひたすらイメトレやリハをしてみて、ようやく体を成す程度。涼しい顔して卒なくこなすなんてことには程遠いものです。

格好良くやろうとすればするほど、失敗しちゃいけないという意識が強くなって失敗しちゃうもので、格好つけても格好がつかないのが普通なんです。

プレイヤーであること

だから普段から当事者意識を持って、真剣に物事に取り組む「プレイヤー」であることが重要なんです。

それは、傍から見れば泥臭くてダサく見えることかもしれません。下手をすれば、「なに、真面目ぶっているんだよ。」と反感を買うようなことかもしれません。

でも、涼し気な顔して何の努力もせず、いざ自分の番になったら何もできないということの方がよほどダサいんですよ。

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評論家はダサい

そしてもっとダサいのは、他人のやることにああだこうだ言っているだけで、自分では何もしない(自分から挑戦しない)こと。第一線を退いて一端の「評論家」ぶっている人。

その昔一流プレイヤーだったことにあぐらをかいて、「今はダメだ。昔はこうだった。」と評論にすらなっていない自慢話をするのはもはや老害ですよ。

そう考えると、経験豊富なベテランが第一線で泥臭く取り組んでいる様子って、凄く格好良くないですか?

若手がそんな姿を見たら、「自分ももっと積極的にやっていこう!」と思えてきそうですよね。

だから、プレイヤーで在り続けることって全然ダサいことじゃなくて、実はめちゃくちゃ格好いいことなんです。

最後に

テレビを観ていると、「若手の芽を摘まないように自分たちが退く」みたいなことを言うベテランを目にすることがあります。

確かに一理あるのですが、それって単に若手(新しい時代の技術)に追い抜かれるのが怖いだけじゃないかなぁと思うんです。

若手を活躍させたいなら、自分たちの背中をしっかり見せて、育てるべきでしょうし。

なので僕は、体力が続く限りはプレイヤーで在り続けたいなぁと。

詩人の谷川俊太郎さんはプレイヤーで在り続けることを体現していて、ほんと格好いいんですよね。こんなふうになりたい。

「詩はくだらないもの」詩人・谷川俊太郎が切り開いた詩の世界

少しごちゃごちゃしましたが、今日はこの辺で。

ではでは〜。

 

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About のさか たくみ

1994年生まれ、大阪出身。同志社大学・教育文化学科卒。在学中にメディアの立ち上げや大学のサイト製作・入試制度の提言、デンマーク留学、休学インターンシップなどを経験。2018年4月に有限会社ノオト入社。「個の夢が否定されず、自分らしく活きられる世界」を。