どうも、のさか(@breakconnect)です。
先日「過去を恥ずかしいと思えないなら、成長は止まっている」で、過去を否定してはいけないということを書きました。
世界中の全員が過去を否定すべきではないとは言うつもりはないですが、立ち直ろうとしている方は絶対に過去は否定しないほうが良いです。
今回は僕がなぜそんなふうに思ったのかをお話していきます。
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過去を否定してはいけない理由
過去を否定してはいけない理由は大きく分けて2つあります。
1つ目は、過去を否定することは現在を否定することと同じだからという理由。2つ目は、過去は否定すれば否定するほど付きまとってくるものだからという理由。
1つ目の理由から順にお話していきます。
1.過去を否定することは現在を否定することと同じだから
上図を見ていただければ分かる通り、過去〜現在(〜未来)はそれぞれが独立した「点」的なものではなく、全てがつながっている「線」的なものです。
つまり言うまでもなく、現在の自分を作っているのは過去の自分というふうになるわけです。
そのため、過去の自分を否定するということは現在の自分を形づけている要素を否定することになるわけです。
そして、現在の自分を否定すると何がいけないのかというと、被害者意識を持ってしまうところなんです。
抽象的な話ばかりしてもわかりづらいと思いますので例を。
僕は中学1年生のときにイジメられたことが原因で、人を信用しなくなったことがあります。
当時は、「イジメられた」という過去を否定的に見ていたので、当時の状況(人を信用できなくなったこと)を快く思っていませんでした。
そして、「自分が人を信用できなくなったのはイジメのせいだ」というふうに、自分が頑張ることを棚に上げて、環境(イジメを受けたこと)のせいにして被害者面して過ごしていました。
だから、僕は自分自身が頑張って人を信用できるようにする努力をあまりしませんでした。
このように過去を否定していると現在も肯定的に見れなくなる上、被害者意識を持つようになるので、良くないのです。
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2.過去は否定すれば否定するほど、付きまとってくるものだから
過去は否定すれば否定するほど、忌まわしきものとしてつきまとい行動を規定してくるものです。
そもそも過去を無かったことにしたり、取り返したりできている状態というのは、過去が気にならない(執着の対象となっていない)状態のことなんです。
なので「否定する」という行為は、単に自分から過去を忌まわしきものとして関わっているだけの不毛なものだったりします。
さらに言えば、忌まわしき過去が二度と起きないような行動をしなけばいけなくなるので、行動も規定されてきます。
先ほどのイジメの例でいえば、僕はイジメを良い過去として認識していなかったので、イジメられないための態度や行動をするようになりました。
この「いじめられないための態度や行動」というのが、規定されているものとなります。
仮に過去を肯定的に見ている場合は、イジメから得たことや学んだことを現在や将来に活かすことができるので、行動を規定されるどころか得たものを利用するという立場になります。
最後に
その昔高校生だったとき、僕は過去をやり直したくて仕方ありませんでした。「タイムマシーンがあれば……」「あの出来事がなければ……」と何度となく思っていました。
ですが、現在は過去をやり直したいとは思いません。それどころか、過去に感謝しているし、愛しいとすら思っています。
たしかに過去は変えることはできませんが、過去への解釈はいくらでも変えることができます。
過去へ執着する生き方は止めて、過去から得たものを現在に活かす生き方をしていければ、案外身軽になれますよ。
ではでは〜。
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