過去を恥ずかしいと思えないなら、成長は止まっている

どうも、のさか(@breakconnect)です。

DeNAの創業者である南場さんがC Channel・森川さんとの対談の中でこんなことを話していました。

私がこの歳になって誰にも負けないと思うのが、実は成長です。去年の自分が常にいつもすごい恥ずかしいので。成長してるってとても良いことだと思うんですよね。
引用 – 仕事で成長できない人の特徴 結果を出せる人材になるには – ログミー

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過去が恥ずかしいと思えないなら、成長は止まっている

「過去が恥ずかしい」というのは僕自身もよく感じます。昔の自分が作ったブログ記事とかTwitterの過去のつぶやきとか見ると、「うわぁ青いな……」「友達になりたくないなぁ……」と思います笑

というのも、今と比べれば驚くほど文章力も低いし、考えていることの深みも無いし、物事を捉える視野も狭いからです。

このブログの記事で言えば、「「最近どう?」とか「上手くやっているのか?」とかいう残酷な質問」とか読み返してみて恥ずかしい……。

内容自体は悪くないのですが、文章の論理構成がぐちゃぐちゃで表現もかなり下手、アイキャッチ画像もトリミングした方が絶対に良いのになぁと。

ただ、こんな風に「過去が恥ずかしい」と思えることは悪いことでもありません。なぜなら、それは少なくとも過去の自分よりも今の自分は成長しているという証拠だから。

逆に言えば、過去が恥ずかしいと思えないなら成長は止まっていることになるので、割りと危険な状態かもしれません。

過去を否定しないこと

もちろんこれは、成長を絶対美として考え「過去は恥ずべきものだ!」といった主張をするものではありません。

僕が、過去自分が作ったものに対して抱く「恥ずかしい」という気持ちは、あくまで自分の成長が実感できる懐かしく微笑ましいものです。

目も当てられないくらい恥ずかしいという理由で過去に自分が作ったものを消そうとするのは、過去の自分を否定しているだけなんです。

そしてそれは、今の自分を否定するということでもあります。なぜなら、今の自分を作っているのは間違いなく過去の自分だから。

だから過去を否定してはいけないし、過去は否定すれば否定するほど忌まわしきものとして付きまとってくるものになります(これはまた後日お話します)。

【追記(2016/06/07)】

参考:過去は否定してはいけない

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最後に

僕は高校生の頃から定期的にブログを書いてきていますが、ブログほど自分の成長を可視化できるものは無いなぁと思います。

興味関心の変化はもちろん、文章力や思考の深さ、視野の広さといった要素が全て記事に現れてしまうので。

基本的に僕は1ヶ月位前に書いたことが恥ずかしくなります。多分この記事もすぐに恥ずかしくなる日が来るはずです。

そのときは成長したんだなぁと微笑ましく記事を見ようと思います。

ではでは〜。

 

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