どうも、のさか(@breakconnect)です。
友人がFacebookで、人間の本性について面白い考察をしていました。
人間って性善説か性悪説みたいな話がよく出ますが、僕はそのどちらでもなく性”楽”説が真理だと信じています。
その”楽”にも2パターンあり、「めんどくさいので楽がしたい」という意味の”楽”と、「興味関心をもったことに対してワクワクする」の”楽”があります。
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性楽説の真理性
これはほんとそのとおりだなぁと思っていて、前々から性善説と性悪説には懐疑的だったんですよね。
ときに醜くて、情けなくて、つまらなくて、どうしようもないのが「人間」だし、ときに美しくて、頼りがいがあって、面白くて、どうにでもなれるのが「人間」。
性善説・性悪説どっちかなんて、バカバカしい。— のさかたくみ (@breakconnect) 2016年10月11日
どう考えても、性善説・性悪説どちらか一方の視点じゃ人間を正しく理解できないので、何か良い表現はないかと思っていた矢先、まさに言い得て妙でした。
確かに、僕らは楽をしたいし、楽しいことをしたい。
「辛いことや苦しいことを我慢している場合は?」と問われても、辛いことや苦しいことを我慢する(進んで行う)のは、そうした方がむやみに藻掻くよりも楽だと考えているからだと考えられますし、その先にある楽しい未来を見据えているからだとも考えられます。
個人的にざっと考えたところ、性楽説に当てはまらないことはありませんでした。
性楽説に基づく教育
で、元々性善説と性悪説って、人間をどう教育していくかの議論なんです。
性善説は、「人の本性は善なるもので、悪行をするのは亡失しているからだ」という立場から、善を拡大していく教育を推し進めますが、性悪説は、「人の本性は悪(利己的)なるもので、善行は後天的に学ぶものだ」という立場から、善へと矯正していく教育を推し進めます。
この教育の推し進め方も、人間をちゃんと視ていないようで、しっかりとした尊敬ができていないと思うんですよね。
その点、性楽説による教育について、これまた友人が面白いことを書いているんです。
まあ、大抵の場合は前者の”楽”が働いてめんどくさがって作業が進まなかったりするのですが、僕は周りの人のお陰で少しずつそのめんどくさがりな自分が変わってきています。
僕の今の夢は後者の「興味関心をもったことに対してワクワクする」についてをより深く科学して、一人でも多くの人がワクワクした人生を歩めるキッカケを作れる人になることです。そして、自分の得た知識と経験で一人でも多くの夢を持つ人の背中を押せるようになりたいと思っています。
他人の興味関心に興味をもつことは、尊敬への第一歩であり、それを尊重して推し進めようとするのは、かなり理想的だなぁと。
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最後に
とまぁここまで、ざっくりと性楽説の良さについて考察してきましたが、本当に反論するところが思いつかないんですよね。
なんなら、昔の偉い人が「人間の本性は性楽説だ」とか言っていたら、わりと今の時代まで語り継がれたんじゃないかと。そう思えるほどしっくり来るんですよね。
僕も性楽説的教育に習って、もっと色んなワクワクがあるんだよってことを伝えていきたいなぁと思います。
それでは、また!
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