「丁寧に生きること」の大切さ

どうも、のさか(@breakconnect)です。

ここ最近友人との連絡をすっぽかしたり、仕事や宿題の締切を過ぎてしまったりと、とても雑な行動をしていました。

流石にいけないと思い、GWでしっかり自省する時間を設けて、自分のすべきことを消化しているのですが、実践すれば実践するほど「丁寧に生きること」はとても難しくて、大切なことだと感じます。

当たり前のことを当たり前にする、ということ

「丁寧に生きる」ということは、当たり前のことを当たり前にするということです。

挨拶をする、勉強する、運動する、約束を守る、整理整頓をする、偏りのないごはんを食べる、適切な睡眠をとるといったことを毎日するということ。

こうしたことは1つ1つの行為としては決して難しくはありませんが、全部を毎日やっていくことは到底難しかったりします。

というのも、僕らは仕事や課題に追われて忙しく過ごしていたり、手間を掛けることが面倒くさくなったりするから。

だからこそ、多くの著名人が「当たり前のことを当たり前にする」重要性を説いているわけで、世に出回っている自己啓発のノウハウは言われてみれば、ほとんどが当たり前のことだったりするわけです。

赤信号のとき、「丁寧さ」を失っている

そして、僕らが丁寧に生きなくてはいけないそもそもの理由は、黄色信号に気づくためじゃないかと思います。

自身のことであれ、対人関係であれ何であれ、赤信号が出ているときは必ずと言っていいほど「丁寧さ」を失っています。

付き合っていた彼女が急に冷たくなったりとか、業績が伸び悩んだりとか、身体が少し重くダルいとか、こうした黄色信号に思い当たる節がありませんか?

これらのことは、日々丁寧に生きていればほとんどが防げたことですし、たとえそこに行き着いたとしても、「あぁ、これは黄色信号だ。」と気づくことができれば、何らかの対処をすることができます。

黄色信号に気が付かないまま赤信号になってしまえば、気づかぬ内に大切な人やものを傷つけてしまったり、重大な病気になったりすることもあり得ます。

そうならないために僕らは、常に丁寧に生きていかなくてはならないわけです。

「丁寧さ」には制限するものがない

また、難儀なことにも幸運なことにも、「丁寧さ」には制限するものがありません。

挨拶をしたり、約束を守ったり、勉強したりという行為自体には、才能や性格は関係がないからです。

丁寧さを欠いた際のよくある言い訳として「忙しかった」「気恥ずかしい」というのが挙げられますが、忙しいなら最初から「約束はできない」と伝えたり、スキマ時間を有効に活用することができますし、人見知りや恥ずかしがりでも人との対応を「愛想よく」「元気よく」はできなくても「丁寧」にはできます。

要は自分の怠慢さにさえ向き合うことができれば、「丁寧さ」には制限するものは何もないわけです。

最後に

「丁寧さ」を突き詰めれば突き詰めるほど、その際限の無さや自身の未熟さを知らされるので、本当嫌になることも多いです。

ただ、日々「丁寧に生きること」を実践できれば生活の質はグンと上がるので、しっかりやっていきたいですね。

皆さんも是非「丁寧に生きること」を頭において、生活してみてください!

ではではー。

 

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