本当に必要なのは「凄くないね」と笑ってくれる存在

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大学を休学してインターンシップなんかしてると、色んなところで会う人、会う人に「凄いね!」とか「若いのに偉いね!」といったことを言われる。

そのこと自体悪いことだとは思わない。「たかだかインターンくらいで調子のるなよ?」「なんで休学なんかしちゃってんの? 意味なくない?」といったこと言われるよりか、断然マシだから。

ただ、いいことだとも思わない。たかだかインターン生で、まだなんの成果も出していない僕がそういう風に言われるのはどこか的外れな気がしてならないのだ。

実際の自分と自分への評価との乖離

僕はまだ何もできない、ただの学生だ。ライティングスキルがあるわけでもなければ、営業のスキルがあるわけでもない、プログラミングに至っては「えいちてぃーえむえる?」とかつい最近まで言っていた口である。

しかし、周りの僕に対する評価はどうかといえば、前述した通りどうやら「若いのに頑張ってて凄い子」らしい。人生をかけて行動してるという点でいえば、確かに立派なのかもしれない。が、仕事場ではまだ、ほかの社員さんの足元にも及ばない成果しか上げられていない。

そういう風に自分を評価することに対して、弁明をしようにも「いやー、俺には考えられないよ」とか「意識高いなぁ、凄い!」とか言われると弁明が出来なくなる。

この他人の自分に対する評価と実際の自分との間に生じる乖離が、他人にはなかなか理解してもらえなくて、どうにも苦しかったり歯がゆかったりする。

「全然すごくないね笑」「カッコ悪いね笑」と言ってくれる存在

得てして僕は、実際の自分を見てくれる人を求めているのだと思う。少しいい感じの意識高い学生という世間体を気にもせず、ちゃんと自分を見てくれる存在だ。

「全然すごくないね笑」とか「カッコ悪いね笑」って笑ってくれる存在がいるというのは本当にありがたい。そういう存在の前では「若いのに頑張ってて凄い奴」ではなく、ただの学生でいられるから、カッコつけなくて済む。

そういう存在がいなくて、ちやほやされ続けているとだんだん自分が何者なのか分からなくもなってくる。天狗にもなりかねない。

ともすれば、他人をよく見ないで褒める人は残酷だ。「凄い」ということでその人を突き放しているだけなのだから。

本当に必要なのは、ダメな自分を受け入れてくれて、たまに、凄い自分も認めてくれる、そんな存在なのだ。

 

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About のさか たくみ

1994年生まれ、大阪出身。同志社大学・教育文化学科卒。在学中にメディアの立ち上げや大学のサイト製作・入試制度の提言、デンマーク留学、休学インターンシップなどを経験。2018年4月に有限会社ノオト入社。「個の夢が否定されず、自分らしく活きられる世界」を。

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