憧れて模倣するのは大事。だけど、批判できないなら一生二番煎じ

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どうも、のさか(@breakconnect)です。

気づいている人は気づいていると思うのですが、このブログは『隠居系男子』にかなり影響を受けていて、フォーマットや書く内容など模倣しまくっています。

模倣していてなおさらに思うのですが、鳥井さん本当にすごいなぁと。文章のリズム感も書く内容も自分の記事と比べて、全くレベルが違いますし、あのクオリティを維持したまま淡々と続けるのは、そうできることではないんです。

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模倣の意義

誰しもが憧れの人が一人や二人いて、ちょっと模倣してみたりする経験はあると思います。

模倣すること自体はとても良いことで、その人のやっていることの大変さを実感できますし、一定の技術も盗むこともできます。

だからこそ、模倣するときには中途半端にするんじゃなくて、要素を正確に理解して(わからないのであれば、隅々まで)模倣した方が良いなぁと。そうした方が、色々学ぶ所は多いので。

模倣だけしている人は面白くない

だからといって、模倣だけしていればいいのかと尋ねられると、そうではないんですよね。

ただ模倣しているだけの人って、ある程度のレベル感にまではいけるんですけど、圧倒的に面白くないんですよ。なんだか没個性的で、「それ本心でやっているの?」って思うようなかんじ。

やっぱり憧れに値する人たちはキャラが立っていて、その人らしさがあるんですよ。

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憧れを批判すること

だから、どこかのタイミングで「自分らしさ」を構築していく必要があるわけですが、これはいわば「憧れの人を批判する」ことなんじゃないかなぁと。

「自分だったらこうするのに」「別の要素を加えたら面白いのに」と不満に思うこと、その不満を解消していくことこそが必要なんじゃないかと。そうじゃなきゃ、ずっと同じことを繰り返していくだけになってしまいます。

つまりは、模倣の対象となるものを批判できないなら一生二番煎じのままというわけです。

最後に

そう考えてみると、あぁこの人は二番煎じだなと思える人って腐るほどいるなぁと。

世の中の成功哲学には模倣の重要さを説くものが多くありますが、懐疑的に批判していくことも忘れてはならないことだと思います。特にインターネットが普及して、情報が簡単に手に入り、模倣し易い今の時代ではなおさら!

まぁ、よくよく考えれば「守破離」ってだけなんですけどね。

 

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