曖昧なテンプレで教育するな

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どうも、のさか(@breakconnect)です。

教育の場で最も多いのが、なんらかの行動規範を用意し、それに適合させていくという方法。

これは一見やりやすく効率的で、もはやテンプレ(マニュアル)とでも言えるような教育方法ですが、教育の「き」の字もわかっちゃいないなと。

今日は曖昧なテンプレによる教育の問題とその対策についてのお話です。

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教え手にとっては、曖昧なテンプレは便利

例えば、先日お話した「お客様は神様だ」みたいな行動理念を事ある毎に口にして、部下にお客を敬う姿勢を身に付けさせようとすること。

教え手側からすればこうした言葉は、何となく教育したつもりになれる便利なものです。

しかし受け手からすれば、そうした言葉の真意はなかなか理解(実感)できず、それに適した行動を起こすのは難しいもの。ほとんどにおいて、言葉の表意だけを理解し、言われたことだけやるのに終始してしまいます。

そうした受け手の状況を見て、「もっと自分の頭で考えろ!」「言外の意味を汲み取れ!」「言われたことをちゃんとやれ!」といった注意、批判をする教え手が後を絶ちませんが、それは実際は自分が「教えたつもり」になっているだけなのです。

尊敬を基盤とし、指導すること

こうしたことを防ぐために、教え手がまず取るべき行動は「尊敬」を基盤とした信頼関係を築くこと。これは当ブログで何度もお話してきたことです。

参照:管理職は単なる「小言のうるさい姑」になってはいけない

参照:中年の若者に対する「これくらい知ってて当たり前でしょ?」が不毛な理由

その信頼関係を築いた上で、始めて「指導」が来るべきなんです。

ここでいう「指導」というのは、単に行動規範から逸れている場合の注意・批判のことではありません。受け手に対し、新しい発想を与えることです。

言い換えれば、「これはダメ!」「この規範を守れ!」ではなく、「こうした方がより効率的だよ。」「こうすれば、もっと楽しくなるよ。」という、現状の行動や姿勢にに置き換わるものを提示することです。

参照:フィードバックの際に「悪い点は〜」と言わないこと

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最後に

テンプレは受け手に表面的な形式を覚えさせるのには非常に便利ですが、本質的な姿勢を学んでもらうことできないものです。

その結果、人(お客や部下)の顔が見えなくなり、そもそもその教育が目指すべきところからどんどん離れていってしまいます。

だから、教育制度も指導の際に使う言葉もテンプレ化しすぎず、尊敬を基盤として新しい発想を与えることに注力すべきなんです。

これを完璧に行えたら、アルバイトですらも企業理念に従って行動できるようになるんじゃないかなぁと思います。

今日はこの辺で、ではではー。

 

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