同意を求められるのは苦しい

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どうも、のさか(@breakconnect)です。

ずっと思っていたことなんですが、「どうですかこれ。最高じゃないですか?」というふうに、同意を求められるのは嫌だなぁと。

それが共感できそうなものであったり、一意見として求められているのであれば良いのですが、さも共感できるのが当然かのように迫ってくると、なんだか苦しくなってしまうんです。

自分に共感を強要してきた

それは多分、昔、僕が自分自身に共感を強要してきたからなんだろうなと。

子供の頃、僕は周りが「こうだ!」って思っていることに対して、共感できることがあまり多くありませんでした。

「野球楽しいやんな!?」「阪神最高やんな!?」みたいなことをみんな口々に言い合っているなか、僕は全く共感できないままで「まぁそうやな」と合わせて過ごしてきました。

小学生くらいまではこのことはさほど気にはしていなかったのですが、中学生になると「周りと同じように思えない自分はおかしいんじゃないか」と段々不安は増し、いつしか自分の感情を押し殺して周りに合わせていくのが当たり前になりました。

そうするとどうなるか。自分の意見とか感情とかがなくなって、自分では何も考えられなくなっていったんですよね。自分が好きだと思うものですら、それをどう表現していいのかわからなくて、最終的には好きかどうなのかも分からなくなってしまう始末。もう、アイデンティティは完全に崩壊していました。

参照:「好き」の程度とか気にすると、なんにも好きになれなくなる

その後、自己啓発プログラムに入ったり、旅に出たり、自分でお金稼いだり……とにかくたくさん藻掻いて立ち直ることはできましたが、未だに他人と比べると不安定だなと。

強要に敏感になったからこそ思うこと

そんな経験があるからこそ、誰かに共感を強要されることに凄く敏感になったんだと思います。強要されると、自分の感情が踏みにじられているような、人としての権利が奪われるような感覚がしてしまうんです。

今でこそ、自分と違う意見に対して激しく「NO!」を突き返すことはなくなりましたが、自分のアイデンティティを取り戻しかけていた時期は、なんとか守ろうとしていたので、周囲への否定(攻撃)性が凄く強かったなと。当時僕と関わりのあった人たちには、ご迷惑をかけてしまったなと反省しております。

でも、共感を強要されようとしているとき、「NO!」と言えることはすごく大事で、自分の感情は決して渡していいもんじゃないんです。自分以外の誰かに奪われるなんてことはあってはいけないし、自分自身で押しつぶそうとすることもあってはいけない。

それはきっと、自分の手で大事に守り、育んでいくものなんだと思います。

最後に

同じことを同じときに思ってくれていたらそりゃもう最高だし、やっぱり共感は嬉しいものです。

でもだからこそ、他人にそれを強要するような同意の求め方は良くなくて、僕は自然に醸成されるその感情を楽しみたいんですよ。

決して同じ存在じゃない僕らが、ましてやずっと孤独だったかもしれない僕らが、同じになる瞬間。これほど嬉しいものはなくないですか?(これは強要ではなく。)

ちょっとエモくなっちゃいました笑

それでは今日はこのへんで。

ではでは。

 

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