イメージで「負けている」と感じること

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どうも、のさか(@breakconnect)です。

大学の友人が先日こんなことを言っていました。

「同じ学科のAちゃん(学科内で1,2位を争う美人)、さっきの時間遅れて入ってきて俺の横座ったやんか。その時、自分の荷物を席と席の間に広げてたんやけど、無意識的に片付けてしまったねんな。それに気付いたとき『あ、俺なんか負けているな』って思った笑」

僕はこれを聞いたとき「ただの親切心やん、くだらねぇな笑」と思うと同時に、「確かにそういうことあるな。」と。

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ステータスイメージが存在する

要は、他人のステータス(地位、能力、容姿など)を見て、自分の勝手なイメージで優劣を決めてしまうということなのですが、これって気を付けていても誰しもが無意識的にやっていることなんですよね。

よくある例で言えば、「代表取締役社長」とか「CTO」といった仰々しい肩書を持った人とフラットな関係を築くことができない(話すことすら恐れ多い)とか。

もちろん、ステータスイメージによる優劣は教養を身に付ければ(もしくは、教養がなければ)感じることも少なくなってくるのですが、完全にそれを無くすのはほとんど不可能だなぁと。

ステータスとの向き合い方

なので、人との関係を築くことにおいては、ステータスというものが存在していると認識して、自分のステータスをある一定のところ(少なくとも足切りされないライン)まで上げることが重要なんじゃないかと思います。

ただ、それだけだと「人間関係はステータスだ!」といった偏った見方になるので、ステータスが全てではないということも理解し、自分の教養や人間性を高めていくことも必要です。

ステータスだけの人間関係は脆くてつまらないですし、ステータスは飽くまで人間関係の入り口みたいなものなので。

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最後に

人間関係って本当はかなり戦略的に築けるものなんだろうなぁと思うのですが、結局最後にものを言うのは「愛」とか「友情」とかそういう類のものだと思います。

戦略もある程度重要で、僕なんかは戦略的に考え無さ過ぎて(好き嫌いがハッキリしすぎて)ヤバイんですが、少数ながら心から信頼できる人が居るのは多分そういう部分があるからじゃないかと。

これからもそういう本質的な部分を大事にしつつ、ある程度戦略的に考えて行けたらなぁと。本当にずっと悩んできていることなので、誰かにメンタリングしてほしい笑

なんだかまとまりがないですが、今日はこの辺で!

ではではー。

 

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About のさか たくみ

1994年生まれ、大阪出身。同志社大学・教育文化学科卒。在学中にメディアの立ち上げや大学のサイト製作・入試制度の提言、デンマーク留学、休学インターンシップなどを経験。2018年4月に有限会社ノオト入社。「個の夢が否定されず、自分らしく活きられる世界」を。