セックスに対する嫌悪を聴いた

どうも、のさか(@breakconnect)です。

まさか自分がセックスについて書く日が来るとは思わなかったのですが、最近よく耳にする(というか、自分からそういう話題に持ち込んでいる)ので少しだけ書いてみます。

先日一番印象に残っている出来事は、中学のときの友人からセックスに対する嫌悪を聴いたことでした。彼は顔も頭も良いし、コミュニケーション能力も高く、いかにもモテそうな男性。しかし、不思議とこれまで女性関係の噂を耳にしたことがありませんでした。「ゲイなのかな?」と思ったりもしたのですが、話を聴いているとどうやらそうではないらしいのです。

セックスのとき、相手をモノとして見ている

彼曰く、彼女はいたことはあるし、これまで何度か女性の方からアプローチを受けたこともあるし、いま彼女はほしいし、性欲も問題なくあるとのこと。

友人としてはコミュニケーション能力は高いけれど、恋愛になると臆病になってしまうタイプなんじゃないか……彼の話を聞いていてそう思う節はありました。でも、実際に彼女を作ろうと動いていないのは彼が自分に自信がないというよりも、たぶん彼の言ったこの言葉が原因なんじゃないかなぁと。

「そういう行為のときの自分は、相手をモノとしてしか見ていないような気がして、なんだか好きになれない」

要はセックスに対する嫌悪を持っているから、本当に好きな人ではないと軽々しく性的な関係にはなれないということなんですが、これは分かるなぁと。

性に対するタブー感

ほとんどの家庭がそうだと思うのですが、僕の家庭では性に関する話は、ほとんど暗黙のうちにタブー視されていました。

親から具体的に何か言われたとかではないのですが、テレビやチラシなどから性に関するものが流れ込んでくると、いつもバツが悪そうに黙り込むようになっていたなぁと。

それを意識しだしたのは多分小3くらいのときで、テレビで下着泥棒や痴漢の報道を観て、「しょうもな。こんなやつ死ねばいいのに」と母親が蔑むようにこぼしたんです。

僕は母親のその態度を見て、「そういうもの(性)は犯罪なんだ」と本気で思い込むようになりました。だから中学生になるまで、女性に穴があるということも、子どもがどうやって生まれるのかも知らなかったんですよね。キスしてハグしたら子どもができると信じていました笑

まぁ今(22歳)となっては普通に下ネタを話すようにはなりましたが、子供の頃に抱いた性に対するタブー感は、いまも少し残っていると思うときがあります。

性は否定できないし、否定するほど汚いものばかりではない

で、そのタブー感が彼の場合、色濃く残っているんじゃないかなと思うんです。彼も僕と同じく、性は犯罪だと思っていた口なので。

だからこそセックスに憧れながらもどこかで嫌ってしまうし、性的な関係を築くことに保守的になってしまうというわけです。これは考え方が間違っているとかではなく、ほとんど無意識のうちに刻み込まれているものなんですよね。

でも人間である以上、単純な性欲や承認欲求、孤独を紛らわすものとしてのセックスはあって然るべきだし、否定できないと思うんです。そういう人間のうちに本来あるものは否定すれば否定するほど、自分の首を絞めることになって辛くなるものですし。

参照:ヒステリックな人も、ハッピーな人も「人間」を忘れている

そもそもセックスはそういう嫌悪を抱くようなものだけではなく、もっと純粋に(ある意味で欲望のまま)コミュニケーションしたいからこそのものあるとも思うんです。「知りたい、もっと解り合いたい」と思うからこそのセックスですね。

それに関しては、フリーライターの佐々木ののか(@sasakinonoka)さんが以前noteで見事に表現されていたので、少し引用させていただきます。

ただ、セックスそれ自体は尊いのだということをわたしは知っている。わたしにとって、好きな人とするセックスは「言葉で伝え合えないことを伝え合おうとする行為」だ。

(中略)

撫でる、輪郭を辿る、あなたがここにいる、温度、あたたかい、ここは冷えている、触覚は、

やわい、

視線が焼く、あなたが見ている、息が弾む、生きている、生きている、

それは一瞬の死、

瞼の裏を白く染める閃光、混濁する愛と打擲、溶けていく好きと嫌い、意識の境目、

あぁ、

飲み込みたい、抱きしめたい、そのまま破裂しろ、殴ってやりたい、受け止めるから受け止めて、もっと奥まで知りたい、触れたい、全部をよこせ、今すぐよこせ、あなたを、あなただ、言葉を投げ出した、あなたがそこにいるという事実、辿ってきた軌跡、今何を考えている、あなたもわかるでしょわかる、全部覚えておきたい、再生は無理、知ってる、

一つになりたい、一つになりたい、いやもう一つでしょとか違う、頭ごと同期したい、もう何でもいい、あなたになりたい、わたしになってよ、

好きも嫌いも惰性も嘘も奢る気持ちも醜い嫉妬も弱い心も全部流しこんで飲み込むから飲み込んでよ、飲み込め、喉の奥、胃、腸、もっと奥まで

わたしはただ、ひたすらに、

あなたを、理解したい。

引用 – セックスを探してる|佐々木ののか|note

こうしたことを実感するには、もうセックスするほか無いんじゃないかと思うんです。お互い胸の内を吐き出して、泣きじゃくって抱き合うときの感覚には近いけれど、それはたぶん完全一致じゃない。だからこそ、嫌悪を横に退けておいてでも、僕らはセックスをする「意味」があるんじゃないかなぁと。

もっともこれは頭で理解できるものじゃなく、実感するほか無いのですが。

最後に

「セックスしないと愛されている実感を得られない。言葉で『好き』と言われても、身体ごと愛してくれないなら嘘だと思ってしまう」

これはゲイの友人が言っていたことなのですが、確かにそうだよなと。僕が彼のことを好きだとしても、セックスはできない。セックスできないということは、あの感覚は共有できないということになります。

こうなると、全く別の手段で共有するしかないんですよね。それが物語なのか、音楽なのか、絵画なのか、映画なのか、舞踊なのか、殴り合いなのか、何なのかはまだわからないけれど、すべての人にセックスを求めるのもなんだか変な感じもするから。

まだまだ分からないことだらけなので、本当にまとまりもないし、「〜と思うんです」が多くなっちゃいましたが、色んな「セックス(コミュニケーション)」があるんだなぁということが伝わっていたらいいなぁと思います。

それでは今日はこのへんで。

ではでは。

 

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