外国人ばかりのシェアハウスに住んで気付いた「意地」を捨てる重要性

どうも、のさか(@breakconnect)です。

僕は去年東京の企業でインターンシップをしていたときに、シェアハウスで生活をしていました。で、これがめちゃくちゃ楽しかったんです。

参考:東京で消耗していたときのこと書くよ【シェアハウス編】

だから、僕は京都に戻ってきてもシェアハウスをしようと思って、今は大学から少し離れたシェアハウスに住んでいます。

東京のシェアハウスとは人数もルールも全く異なるので、まだまだ慣れていない部分もありますし、正直嫌なことも多くとても大変です。

ですが、1ヶ月位経ってようやく「今のシェアハウスに来て良かったなぁ」と思ったことがあります。

それは、「意地」を捨てる重要性に気付けたことです。

今回は、異なる文化を持つ人と一緒に生活することについてのお話しです。

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現在のシェアハウスの特徴

まず、現在のシェアハウスについてカンタンにお話します。

シェアハウスは個人の大家さんが運営しており、運営してまだ2年目と比較的新しめ。住民は僕を含めて4人(男女2人ずつ)いて、それぞれの出身国は異なるグローバルな構成となっています。

前回のシェアハウスと違って住民にはそれぞれの個室があり、基本的にはみんな個室で過ごしています。

独りよがりの気遣いを押し付けたくないという意地

それでは本題へ。そもそも、「意地」とは「自分が思ったことをどこまでもやり通そうとする気持ち」という意味。

僕は頑固なのでこの意地もとても強いのですが、特に強いのが「独りよがりの気遣いを押し付けたくない」というもの。

たとえば、現在のシェアハウスではスリッパを履いているのですが、僕は外出する際は玄関にスリッパをあえて置きっぱなしにしています。というのも、今住んでいるシェアハウスは住民は4人しかいないので、置きっぱなしにしても大した邪魔にはならないから。

にも関わらず、家に帰ってくるとスリッパはキレイに収納ボックスに収納されているんですよ(ある住民さんがそれをやっているらしいです)。僕をそれを見るたび少しムッとして、煩わしくも収納ボックスからスリッパを取り出します。

これだけお話すると「いや、君の生活態度がだらしないだけだろ!」と思われそうですが、僕は単に収納ボックスからスリッパを取り出す煩わしさにムッと来ているわけではありません。

僕がムッと来ているのは、潔癖的に気を遣うことで生じる負荷を考えていない態度に対してなんです。

つまり、「みんなが快適に使えるようにスリッパは収納しなければならない(して欲しい)!」という、独りよがりな気遣いを押し付けられていることに対してムッと来ているわけです。

確かにシェアハウスをする上で、みんなが気持ちよく生活できるように気を遣い合うことは非常に重要です。

しかし、あまりに神経質で潔癖的な気の遣い様は、みんなに要らぬ負荷をかけてしまうものなんです。そんな風にみんなが気を遣い合ってばかりいたら、堅苦しくて疲れてしまいます。

だから、あまり神経質にならずにある程度のことには寛容になってあげることが共同生活をやっていく上では重要なんです。

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寛容じゃないのは自分の方かもしれない

ただそれは見方を変えれば、ある住民さんがわざわざスリッパを戻すことに対して僕自身が寛容じゃない(神経質になっている)ということにもなります。

他の住民さんはスリッパはあまり戻しませんが、僕が来るずっと前からそれを良しとしているので、「独りよがりの気遣い」を押し付けているのは実は僕の方なのかもしれません

この家ではそれが常識になりつつあるのであれば、僕が意地を捨てて、受け入れることの方が重要なことなんじゃないか?

そんなことを思ったので、「スリッパくらい都度取り出せばいいや」と気構えるようにしました。

すると、スリッパの収納に関してムッとすることが一切なくなりました。

これはスリッパの問題にもかかわらず、トイレの蓋を閉めるとか、みんなが使う廊下の電気を消すとか、お風呂の窓やベランダを開けるといった問題に関しても同じことが言えます。

他の人からすれば無意味に意地になっていることを捨てていくと、ムッとすることが格段に減って、寛容な心を持つことができるようになるものなんです。

文化の違いだけで人を嫌わないこと

ここまで書いてきたとおり、現在のシェアハウスは日本人は僕だけで誰ひとりとして同じ文化を持った人はいません。

正直日本人的な感覚からすれば、「なんで?」と思うこともとても多かったりします。

あまりにも文化の違いが大きいので、調味料は共有しないし、食器洗い用のスポンジやタオル、サランラップなども共有していません。最初来たときは「これシェアハウスする意味無いじゃん!」とイライラしていていました。

そうした文化の違いから人間的に嫌いになっていた時期もあり、そのときは正直同じ空間に居たくなかったし、話したくもなかったものです。

ただ、それぞれの文化の違いを受け入れていくとイライラする機会は格段に減っていき、今となっては話したくないとは一切思わなくなりました。少し軽々しいのですが、これを実践できたときは自分の器が広がったような感覚がします。

だから、文化の違いだけで他人を嫌うのは視野が狭いですし、ただ単に受け入れられるだけの器も無いだけなんですよ。

最後に

もちろん、どうしても譲れないことは各々にあると思いますが、それはちゃんと話しあえば案外分かってもらえるものだったりします。

一番いけないのは、「アイツに話しても意味が無い。」と決めつけて対話するのを避けてしまうことです。

僕は自分がグローバルな人間だなんてことは全く思っていません。

ですがハッキリ言えるのは、グローバル化していく現代社会においては異なる文化に対して寛容になることと、絶えず対話をしてお互いの最大公約数を見つけていくことが大事なんだ、ということ。

異なる文化を持つ人と暮らすことはかなり難しいことですが、僕もこれを少しずつやっていけたらなぁと思います。

ではでは〜。

 

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